酸性霧一人を殺し 一人ずつ殺し 平成2年作 注①
酸性霧とは酸性の霧のことで、広義の酸性雨に含まれる。化石燃料の燃焼によって発生した気体が大気中で硝酸、硫酸イオンに変化して雨や霧、雪に取り込まれ、特に植物の葉、枝、幹などへ与える影響が大きく、森林衰退の原因となる。酸性霧は酸性雨より約10倍酸性度が高いそうである。そういった意味で、掲句が一般的に使用される酸性雨では無く酸性霧とした意図は不気味さを増している。そして雨という直接的な皮膚感覚ではなく、霧という朧げな感覚にいつしか取り巻かれていたという無言の恐怖感がそこに浮かび上がってくる。それも自己や身の回りの人間が一人そしてまた一人、といった具合に静かに徐々に殺されていくのである。それ故、一字空白は一人の死の瞬間の一呼吸のようにも思えて来る。地球温暖化の影は足音も無く忍び寄って来ているようである。
海霧の街角 虚構からみ合う 平成5年作
暗くなった霧 港街に炎を放せ 平成13年作
この海霧は関門海峡でのものであろうか。霧は海と陸を渾然と一体化してゆく事によって現存在の意識の混濁をもたらし、そこに虚構を孕ませて港街へともたらすのであろうか。その虚構の中で男と女は相対し、抱き合い、憎しみの演技をするのであろうか。そして霧は再び全てを覆い尽くして消し去って行くのであろう。そのような消し去られた思念を圭之介は次の様な詩で表白している。
<霧の来る日> 昭和27年作 注②
青白い蛍光灯
皿にのこっている角砂糖
木の椅子は 余りにかたく
思念(パンセ)は窓硝子の指でなぞった絵の如く
冷(さ)めてゆく
海峡から追われるように霧が来て
わたしの前より 角砂糖を
木の椅子を
そして思念を消し去ってしまった
消し去られた思念と共に自己の存在意識そのものも霧の中に消えてゆくのであろう。
注① 「層雲自由律2000年句集」合同句集 層雲自由律の会 平成12年刊
注② 「近木圭之介詩抄」 私家版 昭和60年刊