戦後俳句を読む (17 – 1) ―「風」を読む― 稲垣きくのの句 / 土肥あき子

渦潮の風の岬の薄羽織

渦潮は年中見られるものと思っていたが、春の彼岸の頃は一年のなかでももっとも干満の差が大きく、見事な大渦ができるため、「観潮」「渦潮」は春の季語となっている。荒々しい自然を前にした、薄羽織は風をはらみ、まるで岬の上で羽ばたいているような風情である。

きくのの第三句集『冬濤以後』には連作が多くみられるが、その冒頭に登場するのが掲句を含んだ渦潮作品である。昭和42年、鳴門と前書された26句からなる作品には

渦潮に呑まれし蝶か以後現れず
渦潮に生きる鵜なれば気も荒し

と細やかな視線に裏打ちされたやさしく、あるいは力強い句が並び、また

観潮船揺れてよろけて気はたしか

といった、歯切れ良いユニークな句も紛れている。

きくのは前年に大切な人を亡くしている。その後、住居を移し、心機一転を考えながらも、身も心もあやうい時期を経ての鳴門吟行であった。

まざまざと覗く渦潮地獄なり

すさまじい轟音とたて奈落のような渦潮を目の当たりにして、恐怖を感じながらも、その偉大なる自然現象から目を離せないきくのがいる。

そしてそれは、船上で足元を掬われるように揺れたことによって、一転して自らの関心がしっかりと過去から解放され、確かにひとりの人間としての自分が、現実の世界に生きていることに気づかされたのだ。

よろけた足を踏み出す先は、新しい恋への一歩なのかもしれない。

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