戦後俳句を読む(20 – 1)稲垣きくのの句【テーマ:流転】麹町永田町〜芝公園/土肥あき子

テーマ解説

今までテーマに沿って俳句を見つけては背景を探ってきたが、準備期間も含め約一年で関連した書物や思いがけない出会いから当初不明だったいくつかが判明したりもしている。

また、きくのの著作権継承者でもある姪の野口さん(仮名)よりお借りしているものに、きくのの六冊のアルバムがある。アルバムは多くのページを残して新しくされたり、手書きの書き込みにきくのの素顔を見つけることができたり、写り込んでいる風景に当時の生活や文化が見え、それなりの心境の変化も映し出されている。

時系列で当時の流行や時事なども並記しながら、きくのの人生を追ってみたいと思い、今後のテーマを「流転」とした。神奈川県厚木の船宿に生まれたきくのの一生は、点々と安住の岸辺を探し尋ねるような転居の連続であった。

本題【テーマ:流転】麹町永田町〜芝公園

引越の荷のてつぺんの菊の鉢

稲垣きくの、明治39年(1906)7月26日神奈川県厚木市生まれ。本名野口キクノ。稲垣家の四男だった父(佐市)が同じ相模川で船宿を経営していた野口家の養子となる。長男、次男、長女、きくの、三男、四男の6人兄弟。大正3年(1914)横浜西部に転居するも、大正12年(1923)の関東大震災で住居喪失のため父の実家座間へ移る。この年より東京神田の正則英語学校タイプ科で学び、卒業後横浜銀行勤務。同時に同志座募集を新聞で知り、応募。父母の反対を押し切り、ただ一人の理解者であった姉の家から同志座の旗上げ公演に参加。大正14年(1925)、同志座座員、宮島文雄と結婚。昭和3年(1928)離婚し、野口姓に復籍する。

以上が俳句と接する前の稲垣きくのの略歴である。

そして、きくのの人生にとって最大の影響を及ぼすことになる財界人A氏との出会いがある。出会いの一切はベールに覆われているが、A氏の影はきくののエッセイ集『古日傘』の「さくらんぼ」のなかで東京・大阪間の初旅客飛行に搭乗したという箇所に注目した。

日本の本格的なエアライン誕生は、政府と財界の協力で昭和3年(1928)「日本航空輸送」が設立され、8月27日、東京・大阪間で初の有料旅客貨物空中輸送を開始した。初飛行を控えた東京朝日新聞には連日「大阪東京間は秀麗富岳を中心とする東海道の絶景、東京仙台間も松島の美風景あり、汽車に比して四倍迅速なる上に、地上には見難き佳景大観を領しつつ、愉快に往復しうる幸福は確かに我が旅客飛行の誇りである。室内は安楽イス、便所の設備あり、自動車よりも遙かに広くかつ美麗である。是非この空中最新設備を利用されんことを切望する。」という広告が大きく掲載され、川崎ドニエ式メルクール型旅客機の定期運行に自信をみなぎらせている。

当時大卒初任給が50円という時代に、東京・大阪間は30円、同時就航した東京・大連間は145円である。同年きくのは、弟の婚礼のために大連へも当機を利用している。離婚直後、蒲田撮影所へ入所早々の22歳の女優が気軽に使える手段ではないだろう。

その後、きくのは麹町永田町に引越したが、車関係の会社が近隣にあり試験をする騒音でやりきれなかったので、芝公園へ転居する。しかし、こちらも電車通りに沿いで自動車やバスの行き交う騒々しさに悩まされたという。掲句はこのどちらかの折りの作品であると思われる。我が名を持つ花が、新天地へと向かって揺れている。「てつぺん」の象徴する誇らしさと不安定なゆらぎに、微妙な女心が投影される。

昭和42年(1967)俳人協会賞受賞の折りの本人の手による略歴では、俳句は昭和11年(1936)大場白水郎主宰「春蘭」をたまたま購読したことから始めた、とある。この「たまたま」に、「事情は一切省きますが、結論としてはこうなのです」というきくの的表現を感じる。掲句は初出とは別に「春蘭」昭和14年(1939)1月号の「春蘭主要作家を語る」(春蘭同人伊藤鴎二)にも引かれる作品である。

門松につながれもする小犬かな
夏帯の波うつてゆく急ぎ足

に並び、伊藤の文章は「句会へ余り顔を見せず、俳人の交遊もさして多いとは思えない。俳壇的雰囲気から遠ざかってあれほどの佳句を投じているのは感心する。特質として句が快楽的、観照が純粋」と続く。

 この時期のきくのには、俳句はまだそれほど大きな存在ではなかったのかもしれない。

 そして次第に俳句の十七音は、多くを語らぬきくのの代弁者となってこの世に送り出されていくのである。

戦後俳句を読む(20 – 1) 目次

戦後俳句を読む/「女」を読む

戦後俳句を読む/それぞれのテーマを読む

相馬遷子を通して戦後俳句史を読む(2)

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