私の好きな詩人 第60回 – 小笠原鳥類 – コマガネトモオ

「完全生物感覚」――小笠原鳥類による造語である.「本を乱雑に積み重ねて、崩れそうで崩れない,これも完全生物感覚です」(談話)鳥類はペンネームからして「鳥」好きがこうじて作品世界が出来上がっていることがわかるが,動物好き,正しくは動物図鑑好き,を公言しており,作品で図鑑や生物学の教科書からの引用を多様したり,評論で動物モチーフの詩に執着を見せたりしている.こう概略を述べてみると一見ただの動物愛好家みたいでもあるが,詩作品を読んでみると普通の愛好家と似ても似つかないのは…このページの読者であれば語るまでもないことである.

印刷された写真や活字は必ずしも平面ではないので

海水の熱帯魚の不自然な、生きた色彩を塗ることに似る。

熱帯の青が描かれる。青い長い、印刷に用いられる無脊椎の

生きている動く物質だ。ここで、体温のある動物は

ゆっくりと穏やかに記録されている、動きも表情も。映像。

(「生きている印刷物」『テレビ』2006年思潮社)

 引用の作品では,図鑑が出来上がるにあたって写真に一色ずつ色が重なっていく印刷という技術が,微視的に見れば平面でなく立体であり,立体である「本物の」動物により近い存在であるのだということが語られている.鳥類という詩人の特異な点は,詩作による帰結点を目指す姿勢にあると私は考えている.つまり――鳥類詩は,理想とする世界を目指すひとつの方法であるのだ.最近はとりわけ行分けを避けて,散文詩が多いが,これらの散文詩は文法が脱構築され,一読して理解できる物語性を排除するよう構成されており,どちらかというとアクロバティックな文「芸」を披露するこの詩人に,目指す理想世界があるというところが,意外に思われるかもしれない.

 「完全生物感覚」とは,鳥類があるべきだと考える存在である「生物」に,無生物の物体や事象,書かれた言語が近似する場合の性質のことであるだろう.この時,その意味を解くには,生物とは何か,といった定義を参照するべきである.生物学での「生物」の定義は,膜で囲まれている,自己複製する,といったものである.「膜」は初期の鳥類詩の頻出用語である.膜は内部と外部とに境界をもうける存在であるが,生物学での膜には近年,物質の出入りする構造(「チャンネル」など)があることが注目されており,おそらくこれらの知見を踏まえて,鳥類詩における「膜」もまた内外の,自己と他者との境界を取り除くような特性が語られる.膜に囲まれているがその膜は完全な遮蔽でなく,出入り自在であり,生物とはすなわち両義性,不確実性,アモルファスなゆらぎである,と考えていいだろう.そうしたゆらぎを示すものに生物性(完全生物感覚)を感じることで,鳥類詩観がひもとける.またもう一方の生物の定義である「自己複製」は,生物学の世界でも蛋白質(生物ではない)でありながら自己複製する存在(プリオン蛋白)が見つかっており,言語学の世界では言語=ミームという点で,近年,言語を自己複製する存在として捉えることが可能である.詩(poem)とは,poiesisから派生しているとよく言われるが,言語自体が,「自己複製する」という「生物」の定義を満たす存在でもあるのだ.

しかし水中で小さな透明なエビがスポーツをしているとそれは最高のプールであるだろうと思う。そのような透明な生き物の中にある透明な物体は筋肉なのだろうかと疑う。塩味の、もっとふらふらな不安定な物体(虹!)であるのではないかと思った。

(「カラー印刷を食べる」鑑賞文 『テレビ』2006年思潮社)

 この詩では,両義性,不確実性,ゆらぎを体現するような存在として「虹」が語られている.私は鳥類詩に出てくる「虹」がとにかく好きだ.多様な意味,多様な形態,多様な性質,そして消えてしまうことが約束されている(つまり生命と同じ)ことを踏まえたうえで,それらをすべて許容するような優しさ,強さが遠まわしに,奥ゆかしく表現されていると思う.良いこと言っているんだから声高に宣言してもいいかもしれないし,詩歌一般に読者が求めているものはこういう優しさや強さの宣誓であったりするような気もするけれど,あえて抑えめに,きわめて知的に,表明されている.

 完全生物感覚は,詩歌のみならず日常生活でも実践可能である.鳥類の愛好する怪奇小説家ラブクラフトのクトゥルフ神話のように,他の書き手によって複製され増殖するミームとなることも可能である.しかしクトゥルフと異なり抑制と諦念を効かせたこの理想はなんと穏やかなことだろう.鳥類の激しい朗読からはこれまた慮るのが難しいのであるが,ひもといてみれば,海底のような静けさを湛えている.これが詩だ,と私は思うのである.

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