並ぶ肥(た)桶(ご)峰雲嶺に湧きつつあり
第1句集『地霊』所収。
何とも“濃い”作品である。今流行の“草食系”の対極にあるような印象を受ける。色彩も鮮やか、輪郭もくっきり、更には様々な匂いを含め、夏の気配が濃密に漂ってくる。そして一定の年齢以上の、かつ農村での生活体験がある者にとっては、懐かしさとともに、その頃の思い出が鮮明に蘇ってきそうな句である。
思えば肥桶も、人口肥料に取って代わられ、だいぶ前から見なくなった。あれは近寄りがたいがゆえに、逆にその存在を強烈に意識せざるを得ないという、パラドクシカルな存在感を発揮していた事物だった。
掲出句に戻ろう。この句を読んで気付くのは、一句に籠められた要素の全てが生命の躍動を感じさせることだろう。肥桶の養分を吸収した作物はぐんぐん成長を遂げているし、遠山に目を転ずれば入道雲が力感を伴って湧き起こっている。当時としては、ありふれた夏の農村風景だ。
だが現在という視点からこの作品を眺めてみると、その景は当たり前のものとは言えなくなる。ある時代の特徴を色濃く反映した風景だと思うからである。その時代とは、戦後復興過程の一時期だ。そのあとの高度経済成長期になると、どこか慌ただしさが紛れ込み、風景からこうした雄渾さが失われたような気がするのである。その意味で、一見飾り気のない朴訥そのものの作品に見えて、なかなかどうして実のところその時代の息吹を饒舌に物語っている作品なのではないだろうか。