まぼろし 有働薫
落ちていた埃を
手のひらに拾うと
鼠のかたちの影になった
夕闇の部屋で
このあたりでは
ついぞ見かけなくなった
害獣を
殺すことにも慣れたと言っていた
首都の谷間に住む妹の
息子に子は生まれただろうか
これまで本欄に私が取り上げた詩はすべて前世紀のものばかり。今回は21世紀の作品を紹介しよう。有働薫さんの昨年の詩集『幻影の足』(思潮社)から冒頭の詩「まぼろし」。
短い詩だが刈りこまれた言葉から多くのことが伝わってくる作品で、とても好きな詩だ。表層で語られているのは、夕暮れの部屋で拾ったホコリから連想する鼠、そして鼠を殺すのに慣れたと言っていた首都に住む妹の息子に子どもができただろうかということ。その独白めいた断想。散文で語れば、他愛のないことだ。
ところが改行して余白が生まれ、言葉にリズムとそして何より奥行きが出来ている。奥行きと表現すると曖昧だが、改行することで〈行〉や〈言葉〉に付加価値が発生すると言い換えてもいい。たとえばこの詩では、改行によって〈時間のうつろい〉が効果的に演出されているし、「殺すことにも慣れたと言っていた」の一行の独立は文章の中に埋没した場合よりも数段恐ろしく感じられる。
むろんこうした部分の分析もいいが、詩の言葉が相互に響き合うような、全体をまるごと味わうべきだろう。夕闇の部屋で拾う埃を鼠に見てしまう寂しさ。しのび寄る老いの暗示。醸し出される発話者の孤独。「殺すことにも慣れた」と言う、生に付きまとう残酷さ。老いの先にある終焉と害獣を殺す、ふたつの〈死〉のイメージ。そして最終行の子が生まれる〈生〉と〈死〉の対比。そして全体を支配する、時のうつろいの酷薄。