日めくり詩歌 短歌 高木佳子 (2012/06/12)

上からの指示で降りゆく 経血のぬるく滴るような世界へ   嵯峨直樹

『神の翼』(2008年・短歌研究社)より。

この人の歌について書くことをこの季節まで待っていた。この人の歌が持つ独特な湿りの質感は雨の季節がふさわしいように思うからだ。
掲出歌は組織の中で働く自らを詠っている。「上からの指示で降りゆく」、つまりは指示された者として自らは何らかの別な場所へ行くように指示されているのであり、それは単に階下へ「降りゆく」ことではあるまい。自らが日頃ひそかに忌避している場所、そこに作者は降りてゆくのであろう。 

その「降りゆく」行き先は「経血のぬるく滴るような世界」である。月経血が滴る感覚をこの人が捉えていることに、女である筆者は身震いをする。月経血が突如としてあたたかく、ぬるりと、自らの体内から出てくる感覚、どうしようもなくその出血をコントロールできない感覚、滴りが多ければたちまちのうちに下肢まであふれて伝ってゆくだろう不安な感じ、流れ出る直前のかすかな痛み、まとわりつくような吐き気などなど・・・そうした、たぶん女性自身しか知り得ない感覚を、嵯峨直樹という人は、はっきりと知覚していると思う。

 「経血のぬるく滴るような世界」、あるいはそれは生温かく、排泄された、もはや無用な、どうしようもなく液状化した世界であろう。その世界へ行かされることをこの人は詠っている。それは組織の排泄のひとつとしての自らであり、無意志であり、抗うことができない無力な自らの生の暗示でもあるだろう。この人が女性の身体感覚を明確に顕しているのはこの歌ばかりではない。

ぬるい水下腹にきざす 髪の毛がさかなのように匂いはじめる
ストッキングの上から脚を&#25620くほどのぬるい親しさ春あけぼのの

髪の毛の蒸れるような匂い、ストッキングに包まれた脚を掻くこと、それはとてもリアルに描かれていて、そこに筆者はアンドロギュノスの香りをかぎとる。
アンドロギュノス。両性具有。もともと男女は一つの体に両性を備えていたのだけれど、神の怒りを買って、二つに引き裂かれてしまい、それ以来、人間たちはかつての分身を求めてやまないという神話は、そのまま、この人の歌に現れているように感じる。この人の表現が女性の身体感覚に精通していることも両性具有的な表れであるとも考える。
この歌集で多く詠われている性愛の歌もそうで、男性として女性を求めるのではなく、己に欠落している部分を求めるように、もう一方を求めるのである。だが求め合うごとに、さらに個々は別々のものであることが際だち、絶対的な孤独は募ってゆくばかりである。

霧雨は世界にやさしい膜をはる 君のすがたは僕と似ている
組み伏せてくちづけているつかの間を神の短い羽がふるえる
ため息のしめり方まで似通って たとえばキスの終わったあとの
欠けているものがあるんだ霧雨と海が交わる場所のかなしさ
呼吸音微妙にずらし合いながらまひるま誰と隣りあってる
単純でいて単純でいてそばにいて単純でいてそばにいて

「僕」と「君」は似通っている。幾度も似通っていることを確認する。だが、一方がもう一方の「ぬるさ」や「湿り」を感じるほどに近くありながら、そばにいたいと願っていながら、幾度肉体を交わしても、一つにはなれないという絶対的な孤独をこの人は感じている。孤独も、それに伴う苦しみも、結局「神の翼」の下で行われる人間の小さな営みにすぎないこと。そして、そのことさえも嵯峨直樹という人は既に知っているのだと思う。

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