機械におきかへらるるわが価値の苦き汗を吸ふ寒菊の黄は
黒き雪降るよと言ひて仰ぎをりくさびらのごとき顔唐突に
その翳が地上を暗くするごとし夕べの虹を掌もて蔽はむ
歌集『乾燥期』(一九六二年)より
『倉地与年子全歌集』(短歌新聞社刊)所収
戦後文学の主題の一つとして、日常とか、日常生活というものが論じられた時期があった。戦後の焼け跡からの経済の復興があった。その中で生きていた人びとの思いの一端を、倉知の歌によって知ることができる。掲出歌は、どれも結婚後早々に夫を失い、女手ひとつで子を育てなければならず、会社の事務員として働く日々の、屈従と辛苦が感じ取れる歌だ。
虹をうたってこのように薄暗い歌を残した人の心象の暗さを思う。空前絶後の歌ではないだろうか。続けて次のようにも歌う。
デパートも機械も人の呻吟もこのひとときの虹の孤のなかに
結句は、「虹の孤」と刻字されている。弓なりの「弧」ではない。「弧」を「孤」と誤植された可能性もないではないが、「弧」では一般的であり、ひとつの虹としてあえて「孤」を用いた可能性を考えておきたい。
ラジオ テレビなほ売らむかな工業デザイナーら乳汁のごとき絵具を溶きて
内閣の変りしことも話題にならず技師ら何萬分の一の確率を探る
われは美しきものを愛さねばならぬ負荷整流器のこぼす水銀粒を拾ふ
互換性ある女の位置に迫りきてくちばし
清冽の粉雪とぶ日もがらすのうち九人のをとめ監督しつつ
季節感なき事務室に陽のさせばをとめらのみ果皮の匂ひをはなつ
一連のうち六首を続けて引いた。全歌集の解説で作者の作品の背景について、小高賢が男女雇用均等法も存在しない時代のことである、と指摘しているが、労働の現場において男女格差が厳然として存在する中での、息苦しい人間関係を描いた傑作だろう。四首めの「互換性ある女の位置」とは、作者自らの占める位置のことである。それは「九人のをとめ」を監督する年長者としての作者の立場を、もっと能率を上げないとあなたの地位は危ないぞ、と迫って来る会社の圧力である。
「人間管理」ここまで追ひて来ることもなからむ山の秀に松は萌ゆ
たった今、この瞬間にも作者と同じような思いを抱きながら働いている人がいるのではないかと私は思う。
※なお「互換性~」の歌については、「潮音」社の木村雅子氏にご調査いただき、もとの歌集からの誤植であるとして「聡し」になおした。