『俳コレ』鑑賞 / 下坂速穂

とても信じてもらえそうもないが、私は赤子のころ猫に子守りをしてもらって幼年期まで育った。猫は私を自分より幼い者と認識していた様子で、何をされても怒らず、自分の身体をおもちゃのようにさせて、とても楽しそうにしていた、と常々母から聞かされた。その猫とは事情があって生き別れとなってしまったが、猫に可愛がられて成長した私は、当然のように猫をいつくしむ人間となった。それにかこつけて、「俳コレ」の句の中から猫を詠んだ句を読んでみようと思う。

座りゐるだけで褒められ猫の冬   野口る理

居るだけで可愛いともてはやされる猫。店先にただ座っているだけで、看板猫として客を呼ぶことができるのだ。凄いのになると、小学生の登下校を見守っている駅長として君臨しているものもいる。本物の駅長は猫を抱いている人なのだが、とても楽しそうだ。
この句は、そんなふうに猫をもてはやして喜んでいる人々を詠んでいる。「可愛いわねぇ」という声が圧倒的だが、最近は就職難のこともあり、着膨れ姿で「猫ですら駅長になれるのに…」などというボヤキ声の人も背後に混じりはじめている。
研究者としての俳句の眼を感じる一句。

猫は、たいてい貰われてきたり、迷い込んできたり、拾われてきたりして家に居る。

正直に言へば仔猫を拾ひけり   山田露結

この開き直った様子から、普段からその不審な行動を浮気かなにかと疑われていた夫が突然正座をし、「いや違うんだ、実は猫を拾ってきて…」と隠していたことを告白している場面が思い浮かんでしまう。もちろん読み手の勝手な想像である。

内縁の妻が子猫を拾ひ来し   矢口晃

疲れて一杯やっている男の耳元でなにやらニャアと声がする。なにかと思って立ち上がったら内縁の妻が何食わぬ顔で仔猫を膝に抱き、雨の中濡れて鳴いていたのよ可哀相でしょ、何か文句あるの、といわんばかりに上目使いで猫を撫でている様子が思い浮かんでしまうのは、彼女が普通の家族でなく「内縁の」お方であるせいなのか。特別な言葉を使わずエロティックに描くのは技巧派というべき。

二句とも、自分があまり好きでもない猫を相手が断りもなく拾ってきたことに対して迷惑に思った瞬間を詠んでいる。でも案外とこの後、拾ってきた本人よりも嫌がっていた人の方が猫を慈しむようになったりすることもあるのだ。猫には不思議とそんな魔力も備わっている。

むにーつと猫がほほえむシャボン玉   福田若之
だまし絵のやうに猫ゐる年の暮     太田うさぎ

猫は魔性の生き物といわれる。跫音もなく歩き、何もないところをじっと見つめ、恋の季節には赤子のような声をあげ、無言の集会をたびたび開いている。そんな場に出くわすたび、とても近しい間柄でありながら、人とは全く別世界に棲んでいることを感じさせる。若之ににやっとした猫も、気配を消してたたずんでいるこの猫も、普段とは違う方の顔をしているときなのだろう。

飼猫の柄教へあふ夜の秋   津久井健之

内田百閒の『ノラや』には、藤猫という柄の猫が出てくる。知らなかったので調べてみると、青みがかった鯖模様の猫を、そう呼ぶ地方もあるらしい。猫の色柄はいろいろあるが、三毛や錆模様は雌にしかあらわれないそうだ。遺伝子レベルの問題なのだろうが、その不思議を思う。夜の秋という季題で猫の模様を詠んだこの人も、その色や柄に、なにか神秘的なものを感じとっているのだろう。

籠枕どうぞうちの猫がなにか  岡野泰輔

ご近所の猫だから、と我慢していたが、うちの庭をいつまでもトイレ代りにされたのではかなわない。今日はちょっと文句を言ってやろうと家を訪ねていったところ、にこやかに夫人が出てきてこう言った。どことなく、岸田今日子を彷彿とさせるようなものの言い方である。文句を言ってきた者に対して「籠枕どうぞ」と勧める意味がどう考えてもわからない。なんだか果てしなく怖くなってきた。

白猫は汚れ泰山木の花   依光陽子

大人の雄猫の顔というのは、まことに味わい深い。まだ五~六歳であろうに、私より長く生きてきたような顔をしているものもいる。昨日出合ったのは片目がつぶれかけ、傷跡もあらわな白猫だった。答えるはずもない相手だが、どんなふうに生き抜いてきたのか訊ねてみたい。猫はそんな私と目が合うと、露骨に嫌な顔をして、俺にかまうんじゃねえ、といわんばかりにのしのしと去って行く。それでもついて来た私を振返りながら、俺の寝場所はそこなのよ、と、肥えているくせに公園と民家の境のフェンスを器用に潜った。もう後を追ってはいけない。そこには結界のように、泰山木が真白な花を咲かせていた。

俳コレ
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執筆者紹介

  • 下坂速穂(しもさか・すみほ)

昭和38年生まれ。
屋根、クンツァイト所属。
平成9年、屋根新人賞受賞。平成15年、俳壇賞受賞。

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