超戦後俳句史を読む  序説 ―― 『新撰』世代の時代:⑥     /筑紫磐井

前途多難な新撰世代たち

やっと表舞台に登場した新撰世代であるがこれからは前途多難であると思わざるを得ない。

なぜなら、こうして表舞台への登場は、『新撰21』などのセレクションへの収録と合わさって、契機となった芝不器男賞、その後の田中裕明賞(ふらんす堂)、北斗賞(俳句界)、などが群発した機会ーーー『新撰21』の公募枠などもその一つかと思うーーーがあったが、彼らのモチベーションを一貫して高める仕組みは現在の俳壇に十分備わっていないように思われるからだ。商業誌もやっと新鋭欄を設けて順繰りにこれら新鋭の作品発表の機会を与えているが、これはいつまで続くのであろうか。

そうした作家を顕彰する機会に俳人協会新人賞があるかと思うが、最近の傾向で見る限り、50歳直前の「新人」が受賞する例が多く、むしろその人選に反対はしないが、受賞が20年遅かったという寂寥感にとらわれる人が多い。例えば高柳克弘が俳人協会新人賞からは漏れ、田中裕明賞を受賞した例などは、世の中のニーズにこたえていたのはどちらであるかは極めてはっきりしてしまう。

角川俳句賞は権威と称されており、年齢的な新人であることは要件化されていないが、選者の傾向から本当の新人が登場する機会は過去の例から見ても少ないようである。少なくとも、23年度の角川短歌賞を高校生が受賞しているのだが、そのような環境には俳句はなっていないのである(そもそも角川俳句賞のモデルとなった短歌研究賞が。すでに中条ふみ子・寺山修司を輩出していたのに比較しても同様の感想を禁じえない)。

それゆえ、唯一の道筋が俳人協会新人賞だとしたら、新撰世代たちはせっせと結社に入り、結社の中で優等生となってゆくのだろうか。しかしそれでは新撰世代である意味がない。もちろん、結社が悪と言うのではない、ホトトギスと馬酔木がなければ中村草田男、加藤楸邨、石田波郷は生まれなかったであろう。しかし彼らは、日本文学報国会俳句部会新人賞(言っておくが、戦争協賛のためのそうした会はあるが、そんな賞は存在しない、冗談である。歴史に暗い若い作家は冗談を真に受けてしまうかもしれないので念のため注をしておく)を取ったから偉大なのではなく、元から優れた俳句(これも議論を呼びそうだが、結社で優れたという評価をされると言うことではなく、時代を先取りした作品である)を作っていたから誰も無視できなかったということなのである。「俳句研究」は新興俳句と対峙させながら毎号のように作品・記事を依頼し、評論家はせっせと3人を論じ、高浜虚子はホトトギスで「甘やかさない座談会」で老人たちに草田男を糾弾させ、水原秋桜子は楸邨・波郷を「難解派」と名付けて複雑な対応をしている。賛否分かれても、皆関心を持ち続けたからである(もうひとつの、戦後派の問題は、戦後派と戦前派の対立が政治問題化した複雑な例であるのでここでは参考にしない方がいいだろう)。

今年の年鑑を見ても、昨年出た山口優夢や御中虫の句集への関心はあまり高くはない。これが、私が新撰世代が前途多難であるという理由である、そしてまた、私がこの「超戦後俳句史を読む――『新撰』世代の時代」を書く理由である。

その意味で、新撰世代には「大人は判ってくれない」とわめいてほしいのである。

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執筆者紹介

  • 筑紫磐井(つくし・ばんせい)

1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。

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