マンホールより首・肩起す聖夜かと 『蛇』
最初に読んだ時はマンホールの穴から首を出した人が「今日はクリスマスかい?」とおどけている場面を想像した。まるで煙突からサンタクロースが顔を出したように。しかし「首・肩を出す」ではなく「首・肩起す」と書いてある。してみればこのマンホールは蓋をされており、主人公はマンホールの穴から首を覗かせているのではなく、マンホールの蓋の上に寝転んでいてその首と肩とを起こしたということなのであろうか。だがマンホールとは飽くまであの穴のことであって蓋ではない。やはり穴から首を出したと考えた方が素直ではないか。問題は「起す」という動詞の解釈である。横になっているものを立たせるのが「起す」なのだからもともと立った状態で穴に入っていた人が首を出すことを「起す」とは言うまい。どうにもしっくりこない。
こだわるのはそれによって浮かんでくる景が決定的に違ってくるからだ。首を出す方であれば主人公は作者兜子ではなくマンホールに入って仕事をしている労働者となろう。一方蓋の上に身体を起こす方ならば主人公=作者でもいい。ただマンホールは仮令歩道であっても道の真ん中にあるのだからそこに寝転んでいる状況は不自然である。泥酔でもしているとしか思えないが、それでは余り兜子らしくない。いずれを取っても無理が生じるけれども、前者の方が絵としては面白いので第一印象に従うこととする。
句集に置かれた順序からするとこれは昭和30年12月のクリスマスと思われる。神武景気はこの年に始まり翌年には経済白書に有名な「もはや戦後ではない」という文言が書かれる。消費者の購買力は向上し三種の神器と言われる家電製品が普及してゆく。クリスマスも舶来の珍しい風習ではなく日本人の年中行事として定着していた。ケーキを買って家路を急ぐ父親の姿は庶民として普通のものとなりつつあった。そういう時代の聖夜の出来事として読むと、この疎外された男の存在がどこか滑稽で哀しい。それにしてもマンホールに人影とは如何にも場末的な設定ではないか。
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on 3月 10th, 2012
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[…] 年03月02日; カテゴリー:戦後俳句を読む-赤尾兜子の句 · Tweet. マンホールより首・肩起す聖夜かと 『蛇』. 最初に読んだ時はマンホールの穴から首を出した人が「 …(続きを読む) […]