三橋敏雄の句
- 【抱負】
俳句は「志して至り難い遊び」(『まぼろしの鱶』後記)と三橋敏雄は書いている。
しかし、その「遊び」は変貌をくりかえしながら、険しい崖となり、読者に迫りくる。今、その崖にしがみつく。
三橋敏雄を戦後俳句史の第一人者と評するコアファンが多い。ツイッタ―では三橋の第二句集『眞神』を自働配信する「眞神bot」なるものもある。正統派の男の俳句という印象があり、純粋な俳句を求めた俳人であることを確信する。しかし、簡単には読めないのだ。どう読めばよいのかを論じた、いわゆる作品論は、かなりマニアックなファンで無い限りお目にかかれない。俳句は誰にでも読めるものであるが、三橋の句の本質へは読者自身がその世界へ入っていかねばならない。三橋はあらゆる意味で崖である。今、この時代だからこそ、昭和を生き抜いた「三橋敏雄」を読みたい。
2011年は三橋敏雄生誕91年にあたり、三橋初期制作年から約75年経過することになる。これから書かせていただく三橋論は、「先の百年も三橋作品が名句として残る」ということの署名に過ぎないが、もがきながら三橋の崖を登るところを見守っていただきたい。
- 【三橋敏雄(みつはし・としお)】
大正9年11月8日、八王子市生まれ。昭和10年、当時の新興俳句運動に共鳴して作句開始。渡辺白泉・西東三鬼に師事。句集に下記10冊。および朝日文庫『現代俳句の世界』全16巻解説ほか共著多数。第14回現代俳句協会賞、第23回蛇笏賞受賞。現代俳句協会、日本文藝家協会会員。俳誌「壚坶(ローム)」監修。昭和21年より同47年まで帆船練習船日本丸、海王丸ほかに事務長として歴乗。平成13年12月1日没。※1)
*句集製作年代
1.太古 昭和10年―16年(昭和16年6月刊・昭和56年11月新版刊)
2.まぼろしの鱶 昭和10年―39年(昭和41年4月刊)
3.眞神 昭和40年―48年(昭和48年10月刊)
4.靑の中 昭和10年―22年(昭和52年3月刊)
5.弾道 昭和13年(昭和52年3月刊)
6.鷓鴣 昭和40年―53年(昭和54年1月刊)
7.巡禮 昭和53年(昭和54年10月刊)
8.長濤 昭和54年―56年(『三橋敏雄全集』昭和57年3月刊所収・平成8年11月新編纂刊)
9.疊の上 昭和57年―63年(昭和63年刊)
10.しだらでん 昭和63年―平成7年(平成8年11月刊)※2)
※1)ふらんす堂テーマ別句集『海』(平成3年刊)に記された三橋敏雄作成の「略歴」に、没年を追記した。
※2)※1)同様、句集名『しだらでん』を追記した。また三橋敏雄の句集は、必ずしも各句集の所収作品の制作年代順の刊行ではない。
執筆者紹介
- 北川美美(きたがわ・びび)
「豈」「面」同人。現代俳句協会会員。
1963年生まれ。群馬県桐生市出身。
歌手・渚ようこの新宿「汀」に於ける句会に出席。長谷川知水、山本紫黄を知る。
2004年 「面」入会。山本紫黄に学ぶ。
2006年 紫黄と葉山森戸海岸・三鬼句碑を参拝。俳句を通し紫黄最晩年をともに遊ぶ。
2007年 紫黄永眠。
2008年 超結社句会「つうの会」参加。
桜咲く神奈川近代文学館に池田澄子に同行の際、筑紫磐井と知り合う。
2009年 「豈」入会。