戦後俳句を読む(5 – 2) ―テーマ:「風土」― 三橋敏雄の句 / 北川美美

絶滅のかの狼を連れ歩く

 収録の句集『眞神』。これにより三鬼とも白泉とも異なる三橋独自の作品へ昇華した。掲句は、1969(昭和44)年、49歳の作と言われている。

『眞神』には、日本の風土を行き場のない復員兵が彷徨う気配を感じる。そこは昭和の激動から忘れられた山村。すべてが戦前と同じように息を潜めるように生きている。われわれが置き去りにした日本の風土、古来の習慣、家族、一句一句に戦場へ赴いた人間の枯渇を感じさせる。戦後昭和の風景がみえる。阿部公房・松本清張原作の映画がフラッシュバックする。

『まぼろしの鱶』で感じた洋行の眼は、『眞神』以降、確実に日本の風土に向けられていることがわかる。ただし、日本のどこそこという限定のものではない。

草荒す眞神の祭絶えてなし 『眞神』

日本の風土にわれわれの血に宿る共通意識(アイデンティティ)がある。それは、「季語」と似ている。言葉が五感として働き、一語一語が意識の中に鎮まっていくことを発見する。シナリオでなく、まず言葉。言葉から生れてくるものを俳句の「型」との葛藤をもって、俳句形式の「形」の上に解放した。先に没頭した新興俳句、しいては戦火想望俳句と決別し、独自の無季句を得たいという執念が伺える。『眞神』同時期製作の句集に『鷓鴣』がある。*1)

「かの狼」。絶滅のニホンオオカミの表現を「かの」としている。この「かの」の着地点はどこなのだろうか。「個々の読者が個々の全経験をかけて、どのようにでも参加してくださることを望みたい。」(自作ノート『現代俳句全集 四』1977年/立風書房)とある三橋のコメントに従うには全経験は心許無いばかりであるが。

   『麦藁帽子』 西条八十 
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
(略)

『人間の証明』(森村誠一1976年/角川書店)の有名な詩。この詩の妙は「あの」の2回使いである。読者に特別なものであることを想わせる。映画『人間の証明』(1977年公開)の中にも「あの」による不可解さの効果が発揮されている。

 では掲句、「かの狼」。特別な「狼」であることを思う。どこかにある共通の記憶、すでに明治時代に「絶滅」とみなされ、信仰として崇められた「かの狼」。絶滅品種である確約はなく、ニホンオオカミを見たという話は伝説のように言い伝えられている。神と崇められた狼を絶滅させたのは人間である。*2)アイロニーという見方もある。「かの狼」と特別な位置に置かれた言葉がインプットされ、狼にまつわることを思い、五官が動く。そして意識となった五感を「連れ歩く」。失われた狼の手触りが伝わってくる。西条八十の「あの」の二回使い効果は、帽子が母子の迷宮である予感を与え、三橋の「かの」には俳句形式の迷宮を感じる。「かの」は「絶滅の狼」を越えるもの、その予感を示唆していると読める。

 俳句形式そのものが三橋敏雄の主題である。日本の風土の中にある共通意識(アイデンティティ)を読者との連結とし、今までにない俳句、五感に迫るリアルなもの、その一句一句が『眞神』にある。

 北欧神話の中に詩の神オーディンにつく一対の狼「ゲリとフレキ」がいる。すなわち詩を連れ歩く。絶滅の詩を連れ歩く「予感」、それは、作者・三橋敏雄本人。掲句「絶滅のかの狼」は三橋の代表句であると思う。

 三橋敏雄は、風土を五感として捉え俳句形式に臨むことを終生詠んでいる。*3)


*1)『眞神』(収録句数130句)。『鷓鴣』(収録句数162句)。現在、文庫化されたものが入手可能。『眞神・鷓鴣』(三橋敏雄句集・邑書林句集文庫・¥945税込)

*2)「日本オオカミ協会」という団体がある。

さらに映画「赤ずきん」(アメリカ映画2011年公開)全世界で狼ブームか。

*3) 晩年の句集『しだらでん』では、「みづから遺る石斧石鏃しだらでん」と詠んでいる。全句を通してみると、直球の意味のみならず俳句形式自体を詠んでいることがよくわかる。

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