戦後俳句を読む(9-1) ―テーマ:「精神」― 三橋敏雄の句 / 北川美美

戦争と疊の上の團扇かな

掲句から句集名を採った『疊の上』が蛇笏賞を受賞する。敏雄69歳の時である。

戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡邊白泉

敏雄が、俳句形式に立ち向い、白泉の句に対峙する代表的な戦争俳句である。

戦争にたかる無数の蠅しずか
戦前の一本道が現るる

戦火想望俳句に没頭した三橋青年が「戦争」という歴史的事実を思いつづけた重みが背景にある。戦争を詠むことは敏雄にとって終生のテーマであった。

戦争は憎むべきもの、反対すべきものに決まってますけれど、<あやまちはくりかへします秋の暮>じゃないけれど、何年かたって被害をこうむった過去の体験者がいなくなれば、また始まりますね。昭和のまちがった戦争の記憶が世間的に近ごろめっきり風化してしまった観がありますが、少なくとも体験者としては生きているうちに、戦争体験の真実の一端なりとせめて俳句に残しておきたい。単に戦争反対という言い方じゃなくて、ずしりと来るような戦争俳句をね。『証言・昭和の俳句 下』(聞き手・黒田杏子/角川書店)

生き残った敏雄がいる。

「団扇」は夏の風物詩であるが、悪霊を払うもの、軍配を決めるもの、多様な意味を持つ。「戦争にたかる無数の蠅しずか」「戦争が廊下の奥に立つてゐた(白泉)」に呼応し、誰が戦争の蠅(悪霊)を追い払うのか、誰が戦争を裁くことができるのか、という読みもできよう。団扇を手にするかどうか、それは読者次第かもしれない。

歴史上の重いテーマであり人々の脳裏に様々な映像、概念を内包する「戦争」という言葉、そして小津安二郎のカメラ目線の低いアングルが感じられる日本の日常風景である「畳の上の団扇」が、「と」で結ばれ「かな」で言い切られている。

新興俳句作品は切れ字の使用が極端に少ない。三鬼の影響が濃く反映している『まぼろしの鱶』(昭和三十年代の項)での「かな」の使用は皆無だった。しかし『眞神』から「かな」使いが復活している。初学より「新しさは歴史を通じて生き得る」(『太古』序)の確信の元、新興俳句弾圧後に古俳句研究に親しんだことに加え、高柳重信の下五「~かな」の影響が強いと感じる。この点について、『新興俳句表現史論攷』(川名大)に同意である。また古俳句の二物の「取り合わせ」「付け合せ」をみると、「や」を用いるケースが多く、「閑さや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)」「名月や畳の上に松の影(其角)」「鶯や下駄の歯につく小田の土(凡兆)」などがある。敏雄の句も「戦争や畳の上に置く団扇」となりえるところを、「と」で結び「かな」で感慨を言い切っている。「かな」の使用はないが、新興俳句の旗手である高屋窓秋に「山山の蒼き日と夜舞扇」がある。

掲句はある意味、高橋龍氏の「疊の上の団扇と戦争の出会い」(『弦』33号2011.7.1 遠山陽子編集・発行)という言葉を発展させ、いささか飛躍が過ぎるが「ホトトギスと新興俳句の邂逅」と思える。そうなると、この「と」は、偉大なる格助詞ということになる。ホトトギスから分裂し、弾圧により消滅した新興俳句の種子が木になったような、ある到達点を感じることは確かだ。敏雄の切れ字、助詞の使い方には、俳句の可能性がみえてくるのである。

余談になるが、今年に入り、中近世国語語彙・俳文学研究者の小林祥次郎氏から筆者所属俳句誌『豈』『面』をご覧になられた感想を頂いた。「現代俳句は、あまり読んだことも無いのですが、『や・かな』を使っているので、少し心が和みました。」と綴られていた。氏の執筆箇所、『俳文学大辞典』(平成7年初版・角川書店)・切れ字の項は確かに、「新興俳句以降は、『や・かな』などで簡単に詠嘆することを嫌う傾向が強い。」とあった。敏雄の『や・かな』使いが、新興俳句以降の俳句史にどう影響を与えていくのか。変化を見て行きたいと思う。

『眞神』(昭和48年)以降に感じた作者の遠い彼岸からの視点が、『巡禮』(昭和54年)『長濤』(昭和54年)あたりから徐々に、そして『疊の上』(昭和63年)では確実に現生の遠い視点に転換されている観があることも付け加えたい。恐らく『三橋敏雄全句集』(昭和57年)が発行されたあたりに敏雄の視点は地上に降りたという気がする。

敏雄の後記の言葉として有名なくだり「志して至り難い遊び」(『まぼろしの鱶』後記)は、新興俳句、そして戦友・句友を悼み、戦後日本への問い、俳句とは何かという問いでありつづけた。それを敏雄の精神と理解したい。

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