切花は死花にして夏ゆふべ
花に「生」と「死」を見るのは、ジョージア・オキーフ、アラーキーが思い浮ぶが、敏雄に共通の審美眼をみる。
野に咲く花には生命臭があり、自然界から切り離された切花は既に屍である。夏は特に水が腐り易く、異臭甚だしく花は水の中で腐っていく。掲句は「切花」を通し、今生の儚さと死後の世界の美しさを秘めているように思える。それが「夏ゆふべ」のおどろおどろしさと重なり彼岸をも暗喩している。掲句は『疊の上』収録。
日本人の美の根底にある「幽玄」を「花」に見ることが多々あるが、あえて「死花」として表記しているところにタロットカードの死神に近いものを感じるのである。
活花や家居を永くせざりしよ 『鷓鴣』
「いけばな」もしかり、「幽玄」の美意識から発展してきた。ここにある「活花」が立華に代表される定型、あるいは茶花のような非定型なのか、はたまた中川幸夫のような血のような前衛いけばな芸術なのかは見えてこないが、すでに半屍となった植物が、造形・装花として屋内にあることがわかる。切花に残る匂い、その存在が敏雄を屋外へと押し出していたのである。「いけばな」の起源はアミ二ズムにあると考えられており、切り落としてもまだ生命を維持できる植物の神秘性が根源らしい。ゆえに、その美しさは一瞬のものである。敏雄は、活花に生死の淡いを見ていたのだろう。
曼珠沙華何本消えてしまひしや 『疊の上』
つぎつぎに死ぬ人近し稲の花 『鷓鴣』
我とわが舌を舐むるにあやめ咲く 『〃』
白百合を臭し臭しと獨り嗅ぐ 『巡禮』
「エロス」と「タナトス」が見える。花は敏雄にとって、淡く悲しく匂う淫靡な生命として映っていたと読む。アラーキー語で言うならば、「エロトス」。まさに敏雄の花は「エロトス」である。