戦後俳句を読む(18-2)―テーマ:「月」― 三橋敏雄の句 / 北川美美

月夜から生れし影を愛しけり

優雅で謎めいている。

月夜から生れた影、それは物語のはじまりのようだ。

敏雄に恋、愛の句を見つけるのは難しい。上掲句は、人に恋するのではなく、影を愛する句であることが憎い。掲句は『まぼろしの鱶』に収録される。制作は昭和20年代、敏雄25~35歳の頃である。

月影ではなく、月夜から生れた「影」である。それをどう捉えるのかを読者に委ねるしかない俳句形式の短さはまさに宿命的である。ナルシストと思える敏雄がもう一人の自己を愛すること。月夜に蘇った断ちきれぬ想いを投影する影と読めようか。

人は深い傷を負った頃の自己の影に突然遭遇することがある。月夜の艶めかしい光の中で忘却の彼方へ置き去りにされた影が生まれたかのようだ。蘇った影さえも愛すべきこととして捉える余裕。穏やかで平坦な時間。「生まれし影」に雅が、そして「愛しけり」に切ない余韻が残る。

映画『過去のない男』(2002年/監督・脚本・制作:アキ・カウリスマキ)の中で暴漢に襲われ記憶を失った主人公が飲んだくれの男に「過去なんてなくても心配ない。人生は後ろへ進まない。」と言われる。様々な境遇、様々な想いを抱えつつ登場人物達は日常を淡々と生きる。リセットしたいとおもいつつ人は簡単に過去から解放されない。

生まれてしまったものは生きてくしかない。過去から現れたもう一人のわれの影と読みたい。人間の悲哀、愛らしさが感じられる。青年期の敏雄の高い精神性が伺える句である。

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