かげろうの詩―――やや長い前書きのついた俳句
筑紫磐井
日本の人口は少子化のせいで縮小すると言われるが、人口問題研究所によると、現在1億2700万人いる人口が、2055年には8200万人、4500万人の減となると言われている。今の世代の2、3代先の近未来である。最近、2050年までに国土の2割が無居住化すると言われたが、いやいや2200年代早々には、国土の上の日本人が計算上ゼロとなり、消滅している可能性すらあるのである。
いま、領土問題で四周の国と小さな島々の所属をめぐって議論がかまびすしいが、百数十年後に国民がいなくなる国家と彼らが今、真面目に領土問題で決着するとも思えない。だいたい、日本人がいなくなった日本と言う国土を誰が管理するのだろうか。中国?韓国?北朝鮮?ロシア?米国?
日本人がゼロになってから初めてそういう議論が起こるわけではない。人口が少なくなれば、国土を守る軍隊も警察も消防団も自治会も婦人会も弱体化するわけだから、ある日突然、善意の進駐が行われる可能性もある。それが予想される時点、2000年代(2000~2099年)の後半には、外交問題はもっぱらこの議論で明け暮れているだろう。ゼロ年代とはそんな時代なのだ。
地震や津波によって日本は滅びはしない。日本語を話す人がいなくなることによって日本は滅ぶのである。国土に日本人がいない時代、そんな時代に日本の文学、詩歌はどのように享受されているであろうか。我々が想定する読者は、そんな限定された読者なのだ。普遍的読者ではなく、蜉蝣のようにはかない読者に何を読んでもらおうか。ゼロ年代詩歌とはそんな詩歌なのだ。
前書きにあはれが多しやまとうた
汝が夢も我が夢もみははかなごと
命終(みょうじゅう)に年金のこと切に思ふ
あまりにも明るすぎたる子が悲し
執筆者紹介
筑紫磐井(つくし・ばんせい)
1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。