場面集──美しい人生のための 野村 喜和夫
(独楽)
私たちの心の
ほぼ真ん中のあたりで
独楽のように静かに回転しているあれを
なんと呼べばいいのだろう
簡単には言葉にできないけれど
それでも言葉にしたい
生きる力そのもののような
あれを
(オートレース場)
夏の終わりのオートレース場
その殺伐とした空気のなかを黒揚羽が舞う
まるで精霊のように
レースに興じる人たちを見守り
やがて薄暮のスタンドの闇のほうへと
姿を消してゆく
黒揚羽
(かくれんぼ)
夕暮れどきの街に
どこからかジャズが流れてくる
こともあるだろう
その音は
やがて夕暮れのくすんだ灰色と区別がつかなくなる
そんなときあなたが本を読むのは
行方不明になった今日の自分をさがすため
本のページのどこかに
きっとかくれんぼ
しているはずなのだ
(恍惚)
またも薄暮
あなたはコーヒーを淹れながら
窓ぎわに腰掛け
何も考えず何もしゃべらず
ただあなた自身の輪郭が
しだいに濃さを増す薄闇のなかに溶けてゆくような
溶けて世界の恐ろしくも豊かな沈黙と一体になるような
それから不意に
あなたを呼ぶ声がして
魔法が解かれる
(祝福)
深くみつめ
深く問うこと
たとえば庭に咲く青い矢車草に
なぜ惹かれるのだろう
天空の青がそこに
分け与えられている
からではないか
どちらの青にも私は吸い込まれてしまうよ
と思ううち
私は私の不在へと呼ばれ
祝福される
(冬の川)
一月の谷のなかで
一月の川を眺めているわれわれ
冬の川は何色だろう
と問うきみがきて
何色でもないよ
と答える私がいる
寂寥って
こんな感じかな
さらに眺めていると
川に色を抜かれてゆくような
川に色を抜かれてゆくような
*飯田龍太「一月の川一月の谷の中」
(連作「美しい人生」のうち)