光の雨 楠誓英
胸内の淋しさに似て忘れられし傘が一本待合にある
疑惑へと向かひて人を憎む日に傾いて立つ吾の自転車
追ひだされしホームレスのあとに咲くケイトウ次第に人の脳になりゆく
雨の日の床の濡れたる廊下には時折海のにほひがしてゐる
水底の蟹のごとくに雨の日の廊下でストレッチする少年
雨をぬひ逢ひくれし君の体から水の匂ひが部屋満たしゆく
遅刻者を叱りつつ窓の外の山に近づく黒き雲を見てゐる
海中の魚の群に似て雨の日の廊下を走る陸上部男子
傘もなくかけゆく少年うつむきて影おびし顔兄に似てゐる
雨道をタイヤが幾度も走る音しだいに夜の波音になる
雨をきるタイヤの音が遠ざかり海底のやうな眠りに落ちる
相容れぬ哀しみあればくり返し入れても出てくる硬貨が光る
水槽に一匹残つた魚のやうに青年が列車の窓に寄りをり
雨をぬひ御堂に入れば観音も足の裏より冷えてゆくなり
青き夜に経を開けば変はりゆく「なもあみだぶつ」が「なみだあふれつ」と
作者紹介
- 楠誓英(くすのき せいえい)
1983年1月7日兵庫県神戸市生まれ。2003年頃より短歌を始め、2005年末に「アララギ派」に入会。常磐井猷麿氏に師事。2007年、第22回「短歌現代」新人賞受賞。2010年、「アララギ派」の若手とともに合同歌集『月林船団』(ながらみ書房)を刊行。2013年、第1回現代短歌社賞受賞。