赤い新撰 「このあたしをさしおいた100句」(第1回)         ~春うらゝお日柄もよくむかつくぜ~ / 御中虫 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

赤い新撰 「このあたしをさしおいた100句」(第1回)         ~春うらゝお日柄もよくむかつくぜ~ / 御中虫

はじめに    筑紫磐井

俳コレ』書評に応募してくれた中で御中虫は特異だった。

「このあたしをさしおいた100句」。

もちろん、『超新撰21』の巻末座談会で高山れおなが「『超新撰21』でひとつ心残りがあるとすれば第3回芝不器男俳句新人賞の本賞を受賞した御中虫さんが漏れていることですね。これは編集のタイミングの問題でどうしようもなかったのです」と言い、つい先日発表された「週刊俳句」・「『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会(2)」で上田信治が「直近で第一句集を出されていたり、出ると分かっていた方の場合、その句集のダイジェストを掲載してもしかたがないと思って、入れられなかったりとか。御中虫さんがまさに、そうだったんですが、あの方の去年一年の活動を見ると、入ってもらうんだった!と、思います」と言い、また、再び高山れおなが「あえて暴力的に予言するならば、テン年代の新世代の表現は、髙柳克弘と御中虫の2人を軸にした楕円状空間の中で展開することになる」と言う。

だから、このシリーズに入っておかしくないことは3種のセレクションの選者が等しく認めるところなのだ(もう一人の対馬康子はそもそも第3回芝不器男俳句新人賞に御中虫を選んだ張本人だし)。

それでも、「このあたしをさしおいた」は、謙虚な若手が多い中で少し言い過ぎではないか。しかし昨年出た句集『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』の表題を見ても分かるように、人を騒がすのが好きなお嬢さんなのである。

なるほど題名は人騒がせだが、読んでもらえればわかるように、『俳コレ』の作者たちにこよなく愛情を感じていることは、これを引き受けるにあたってもらった手紙に、「おわかりだとは思いますが、私は『俳コレ』は本心からよい書物だと思っています。私の文章を読んだ方が私に嫌悪感を抱き、相対的に『俳コレ』の評価が高まれば本望」という心優しき女性である。こんなシャイな本人に代わって私が事情を述べておくこととした。本人は決して言えない言葉だからである。

しかしこれだけで驚いてはいけない。おそらくこの連載は回を追うごとに過激になるであろうし、10回連載の最終回はとんでもない爆弾が仕掛けられていることも予告したい。

    *    *

なお、総括題の「赤い新撰」は勝手に私が名付けた。山口百恵のテレビシリーズ「赤い××」を思い出したからで、論者の賢しらにすぎない。ただ上述した爆弾が爆発したときはちょっと共感してもらえるかもしれない題だと思っている。

「このあたしをさしおいた100句」~春うらゝお日柄もよくむかつくぜ~   御中虫

炬燵でごろごろしていたら、ツクシだかカカシだかいう難解な名前のヒトからメールが来て、なにやら書評を書いてほしいという。ただし報酬はないと言う。無報酬で働くなどもってのほかだバカヤローあたしは今春眠暁を覚えずと昔っから言うようにまったくもって眠いんだよ邪魔すんなーと思い、すぐさま慇懃無礼にお断りしようと思った。が、その書評というのは「俳コレ」の書評である、俳句のこれからを担うであろう22人の各100句を編んだ、あの本の書評を依頼したいのである、というメールの続きを読んで、すぐさま気が変わり、二つ返事で引き受けた。

 

「俳コレ」に対する私の恨みはマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(10920m±10m)よりも深い。「俳コレ」が悪書と言いたいわけではない。これはこれで一読の価値のある書物だと私は評価している。否、それどころか、人類必読の書であるとすら思う者である。ただ、この書は非常に残念な書でもある。なぜなら、この22人の中に、あの「御中虫」が収録されていないからだ!怒髪天。これは編集者の落ち度で済まされる問題ではない。「俳コレ」が人類必読の書であるならば、御中虫がそこに収録されていないことは、人類の大いなる損失である。バイブルからキリストが抜け落ちているようなものである。ちなみに御中虫とは皆様ご存じ私のことである。「誰?知らん」という不勉強な輩は、いますぐこの文章を読むのを中断し、八方手を尽くして私の情報を収集せよ、或いは己の不勉強を恥じて切腹でもしてくれ。私はいま眠いので話の先を急いでいる。

と、まあ、そのようなわけなので、私御中虫は、「俳コレ」を手放しで褒め称える文章を書く気はさらさらない。そういうホメホメごっこをやりたい人は五万といるだろうから、それは彼らに任せて、この私が、否このあたし様が(ほーら一人称が微妙に変わったぞココ注目)書く以上【このあたしをさしおきやがったこの収録句とかマジむかつく】という観点からこの残念な書物を広く世に紹介したいと思う。然し、この書物には2200句という、おまいら頭おかしいんじゃねーの、誰がこんな膨大な量の俳句読むかよ、落ちつけよ、という数の句が収録されており、全ての句を読んでいたらあたしは婆になってしまうだろう。それは困る。依頼人であるツクシ氏も困るだろう。なので、ふふんふんふ~んとテキトーにページを繰って、今日のこの気分でとりわけむかつくってゆうか、いちゃもんつけた心を刺激された句を毎回10句ずつ抄出し、絡んでいく所存である。なので、22人すべてに触れるとも限らないし、特定の1人に集中攻撃をすることもありうる。そのあたりの展開は今後の連載を楽しみにしていただくとして、記念すべき連載第一回は、サブタイトルにもあるように、春がテーマの句を選んでみた(まあ、春というにはまだ寒い日も多いのだが、暦の上では春だねえ八っつあん、そうだねい熊さん、ということでそのへんはむにゃむにゃむにゃ)。

まずは、あたしが今回選んだ10句を以下に書きだしてみよう。この10句を何の説明もなく先に列挙するわけは、あたしのバイアスなしに読者諸賢にピュアな心でお読みいただき、そののちあたしの観賞を読んでいただきたいという配慮である。なんというフェアな精神の持ち主、御中虫。

おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
家にゐてガム噛んでゐる春休み 野口る理
歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて 福田若之
春はすぐそこだけどパスワードが違う 同上
さくら、ひら  つながりのよわいぼくたち 同上
用もなく人に生まれて春の風邪 山田露結
正直に言へば仔猫を拾ひけり 同上
春霞セロハンテープ剥がせども 岡村知昭
一本になりたき春の煙突群 渋川京子
黒という混みあう色のショール巻く 同上

…お読みいただいたであろうか。
上に挙げた10句はアトランダムに選抜したとはいえ、いずれも名句の誉れ高き句群である。正直このあたしも、それぞれの句に対して半分寝ながら「おゝ」と思わずにはおれなかった。然し、だからこそ、だーかーらーこーそー、この「さしおかれた感」にむかつくんであって、そこんとこモハヤ八つ当たりじゃねーかテメーと言われようが書かずにはおれないのだった。完!

なんつってな。嘘嘘、完じゃないです。書きます。鑑賞します。

一句目。

おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ

早春の句であろう。女子校か共学かは謎だが、卒業式のとき「起立」と号令がかかる、一斉に三百のおつぱい、すなわち150名の女生徒が、凛と立ち上がる。すがすがしい。彼女たちの将来に幸あれと素直に言いたくなる句である。
だがな、てふこ!
おまへにとつて「おつぱい」とは何だ!どういう意味をもつのだ!
「おつぱい」は太古の昔より女性の象徴であり、かつ男性にとっての憧れであった。時は移ろいジェンダー論、フェミニズム運動、あとなんやワシャ知らん、そういったあれこれが「おつぱい≒女性」といふ一面的な見方を崩した今も尚、多くの男性は女性を見るときにまず胸を見ると聞く。あたしは別にさういふ男性諸氏を擁護したいわけではない。擁護したいわけではないがしかし、てふこくん。この150名の女生徒のなかにおまへはまさかゐなひだらふ。我が身をノンセクシャルで透明な身体性を持ったものとし、あたかもチェスの駒のやうに「三百のおつぱい」を天の高みから淡々と「並べる」。この行為、おまへ、ナニサマ!? そして男性諸氏の素朴な「おつぱいファンタジー」を台無しにする、おまへ、ナニサマ!? ここにあたしはてふこ氏の若い女性ならではの傲慢さを感じ取り、ある種のおつぱい幻想をわずか一句で無情にも叩き潰す彼女の高圧的態度を感じ取ってむかつくものである。

二句目。

家にゐてガム噛んでゐる春休み 野口る理

春休みはいいですねへ。なにしろ春だし、しかも休みだ。これ以上の至福があろうか、あるかもわからんけど、春休みは至福ランキングのベスト10には入るような気がする。
そんな至福を噛みしめるやうにガムを噛みしめる。それも家にゐて。家もいい。どんな服装をしていようがすっぴんだろーが何時に寝て起きようがいいのだ。ああ、至福至福。ほわん。
だがな、る理!
ちょっと至福すぎるんじゃないのか!? まあ仮に彼女の噛んでゐるガムがミントガムだったとしやふ。あとはなんだ、名前をちょっと失念したが、とにかく目が覚める系のガムだったとしやふ。それならばまだこの句は救いようがある。然し、断言してもいい、彼女の噛んでゐるガムは、間違いなくいちごガムだ。或いは百歩譲ってもブルーベリーガムだ。甘ったれんな、る理!と、あたしは言いたい。家にゐて、春休みで、甘いガム噛んで、おまへの人生に悩みはないんか!? いい作品ができないとか、体調が悪いとか、家庭崩壊とか、なんかないのか、なんか。ああ無いのか、そうか、そうだろうな、その若さでその才能、あたしがあんたに一目ぼれして本腰入れて口説く前にさらっと結婚してしまったその逃げ足の速さ、あんた人生勝ち組だよ、あんたの100句は舐めるように読んだけど(註;可愛い子の句は全部読む派)、どれもこれも苦悩が感じられなかったよ、る理句については私怨が絡まっているのでいずれまた機会をみて攻撃したいと思うが、とにかくいちごガムはやめるように、その至福っぷりまじむかつくから。

三句目。

歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて 福田若之

この句。最初見たとき、正直感嘆いたしました。まだがんぜない仔猫が親元を離れ自分の足で一歩、広い世界へ踏み出さんとしている。その先にはいろいろな困難もあるだろう、またその逆に幸せもあるだろう、それを「あらゆる知」という非常に端的な言葉で表現したことの素晴らしさよ、これぞ俳句よと思わされた。いや、ほんとですよ。
だがな、若之!
テメー調べてみたらあたしよりはるかに年下じゃねーか畜生!なんだよこの手練れ感はよ!あたしゃもっとベテランの句だとばっかし思ってたぞ!つーかな、年下だったら言いたいことはなんぼでもある!単にあたしが年下男性嫌いだという説もあるが!
まず、この「仔猫」がむかつく。やや話はそれるがこの『俳コレ』には異様に猫の句が多く収録されていて、俳人ってどんだけ猫好きなんってゆーか猫というオブジェクトに何を仮託してんだっつーか殆ど埋め草か?とすら思うことしばしばであったが、この句の「仔猫」が埋め草だと言いたいわけではもちろんない。ただ、己の若さ、青さ、世間知らずさを彼は自覚しているからこそ自己を「仔猫」などという可愛らしいアイコンに投影しているんであって、要するにかまととぶってるんであって、そこんとこ、むかつくよね。さらにむかつくのはそのかわいい世間の右も左もまだわからぬ仔猫ちゃんが「あらゆる知へむけて」歩き出すぜ、オレ今から世の中の真ん中に出ていく人間やぜ、と、今度は予告ホームランのやうなことをぬかしてゐる点である。ざけんな。世の中そんなに甘くねーよ仔猫ちゃん!あたしと同時期に俳壇に存在しているからには全力でこのあたしがおまへの足を引っ張って、「永遠の仔猫ちゃん止まり」にしてやるからそこんとこ忘れんなーーーーーーーーーーーー!!!(嫉妬のあまり興奮中)

四句目。

春はすぐそこだけどパスワードが違う 同上

というわけで春の福田若之潰しキャンペーンは続行させていただきます。ひどい!あたしの若之くんをいぢめないで!とかいう女子はきっと全国に存在するのであろうが、知るかっ。
この句も素直に読めば読める句なのだ。仔猫の句もそうだったが彼はいま過渡期にゐて、そのことが句にあらわれてゐるんだなとあたしは勝手に思ってゐる。歩き出そうと決意したり、でもパスワードが違うから春にたどりつけなかったり。うんうん、わかるよ、若之くん。あたしもかつては(かつては?今もだろという野次は無視する)そうだった。
だがな、若之!
しゃらくせえよ、てめえは!悩んでんだろ。なんかしらんけど悩んでんだろが。違うか。違う!僕は悩んでなんかない!っていうならそれはそれでおまへがただのバカであるということの証明にしかならんので黙って聞け、おまへは今悩んでをるのだ。だったらもっとなあ、素直になれよ。パスワードが違うんじゃねーよ、相談相手が違うんだよ、ただそれだけのことだよ、もっと人を選べ人を。誰になにを相談してんのか知らんがおまへの相談相手はきっとこの句のよさを理解できないバカなんだよ、だからおまへもぐらついてパスワードとかいうスノッブな単語をつい口走るようになっちゃったんだよ、だからそーゆーおともだちとは今すぐ縁を切りなさい、ねっねっ、あなたまだ仔猫ちゃんなんだから。

五句目。

さくら、ひら  つながりのよわいぼくたち 同上

ほらみろ自白しやがったじゃねーか!「つながりのよわいぼくたち」って!所詮おまへの人間関係その程度なんだよ。言っておくが仔猫ちゃん、「ぼくたち」のなかにあたしとかをまかり間違っても含めてはいかんし、世の中の人間みんなが「つながりのよわいぼくたち」に包括されるとかゆめゆめ思うな、そしてそのやうに誤読されかねぬこのやうな句を余白なぞといふまたもや小賢しいテクニックを用いて書くんでは、なーーーーーい!!む・か・つ・く!
…ふぅ。福田若之が泣き出すといかんので、今回はこのへんで許してやることにする。また機会があれば書く。

六句目。

用もなく人に生まれて春の風邪 山田露結

わーイヤなひとが出てきたな。このひと、あたしリアルにお会いしてるんですよ。つーか、個人的に御恩があるんですよ。膨大な。そういう人をぶったたくのはいかがなものか、人として。まあしかしそれはそれ、これはこれ。俳句の世界は厳しいのだ。恩を仇で返すとはこういうことだという手本を見せてしんぜる。
まず、上げるね。
上五中七はなんということもない、ある程度生きてきた人ならば誰もがフト思ふ感慨にすぎないが、そこへ「春の風邪」を持ってきたところがいいですね。風邪引くと、いろんなところが痛くなったり、ふだん意識しない身体を意識したり、いつもなら無意識にすることができなくなったりするよね。それと同時に看病されて、ああ結構風邪も悪くねーな、このひとこんなにやさしかったっけ、とか思ったりね。そこで翻って上のなんということもないフレーズが活かされる。それは決して危篤とか重病ではないちょっとした「春の風邪」だからこそいとしく思える感慨なんだろうな。
だがな、露結!
ここから落とす!
ぶっちゃけつまんねーの一言だよ、この句。おまへぢぁなくても書けるんだよ。こーゆー句はよ。一般大衆でちょっと気のきいた奴なら、書けるんだよ。こゝにおまへならではのリアルはあるのか?やさしくってお品がよくってうらやましいことホホホホホとは思うがな、「用もなく人に生まれて」きたと本気で思ってねーだろ、「オレ、なんだかんだいって人に生まれてラッキー」って思ってるだろ、そこんとこが「春の風邪」でいっぺんに透けて見えるんだよ、わかるか露結?おまへの風邪はぬるすぎる。用もなく生まれたといいたくば、「本当の風邪」を引け。

七句目。

正直に言へば仔猫を拾ひけり 同上

恩を仇で返すシリーズ第二弾です。ってゆうかまた仔猫ですね。どうしたんだ、俳人諸君。世の中猫ですべてがおさまると思ったら大間違いだぞ?この「俳句における猫問題」はいずれなにかのかたちで考察してみたいと思います。
然し今は掲句の話をしませう。
誰にも覚えがあるのではないだろうか、捨て猫や捨て犬を拾って親に叱られたことが。でもそれはきっと子供時代の話で、おとなはあまりそういうことをしない。ところが、あたしの読み違いでなければ、どうやら作者は大人になってからもそんなことをしてしまったようである。いい歳してなにやってんだオレ、嫁さんになんていおう、うーん、もういっかい捨てちゃおうかな、でもなあ、うーん。と、道端で立ち往生している姿がほほえましい。と同時に、なんとなく、世の中捨てたもんじゃないですね、って思わせてくれる、すそ野の広いあたたかさがある。これまたあたしの読み違いでなければ、この雰囲気は露結氏の句における通低音でもある、彼はそういう世界に意図的にか無自覚にか住んでいなさるのだ。善哉。
だがな、露結!
落とすぞ!
おまへは少女漫画を読んだことがないのか!? 少女漫画における、若干乱暴者で孤独な男子(でもイケメン)が、人知れず仔猫を拾って「おまえも寂しいんだよな…」等と独白し、それを偶然通りがかったヒロインの女子が(××クン…)(きゅん…)ってなる、あの典型的むず痒いシーンを一度も見たことがないというのか!? この句はなあ、まさにそれなんだよ!! いい歳こいて、まーだそんな少女漫画的若干やんちゃで孤独ヒーローを気取ってモテようとでもいうのか、ええ!? そのうち海にひとりで行って誰かがつくった砂山にわけのわからんメッセージを指で書いたりするんじゃねーかと、あたしは彼の今後が心配です。ここらへんで我に返っていただきたいと思います。句の添削はマナー違反な気がするが(つかもうこんなむちゃくちゃな書評の時点でマナーもくそもないんだが)「正直に言へば仔猫を殺しけり」と彼がうたうそんな日をあたしはひそかに待っている。

八句目。

春霞セロハンテープ剥がせども 岡村知昭

これまた、風情のある句ですねえ。春霞は、あたしにはまだ難しすぎて使ったことのない季語のひとつだけれども、なるほどセロハンテープと取り合わせたか。うむう技あり一本、と唸った。最後の「ども」がまたいいですねえ。セロハンテープを剥がした後の、なんだかもにゃもにゃとしたあの痕跡は、たしかになるほど春霞。
だがな、知昭!
発想が古いぞ!優しく言うなら純朴、ピュアということだが、時代はそんなところでとどまってはいないだろー!「セロハンテープ」というカタカナでカモフラージュして現代俳句ぽくしてはいるが、この句は「分け入っても分け入っても青い山」とほとんど思想的に同じだといえよう。セロハンテープを剥がしても剥がしても春霞しかみえない、もどかしい、僕が求めているのはそんなんじゃない、ってあんた中二病か!読んでて身もだえするわ!作者の年齢を知らんので(調べてないごめん)なんともいえんが、歳相応の句を作っていただきたく思う。※ほんまに中二だったらまじごめん。

九句目。

一本になりたき春の煙突群 渋川京子

煙突群、見たことない。やうな気がする。ただ、雰囲気はわかる。でもなんで「一本になりたき」なんだろう?それが不思議でひっかかって、この句を選んだ。ひとりになりたいという作者の心の投影なのか、もっと即物的に「もおあたし、こんなけむたいところやだわ」「そーゆーおまえも煙出してんだろ」と煙突どうしでぶつくさ言いあっている景色なのか、うーん、ミステリー。そのミステリーな感じが「春」らしくていいと思ったの。
だがな、京子!
おまへは所詮「煙突群」だ!「一本に」など、なれはしない!春だ、問題は。春に斯様な希望を茫漠と述べたところで文字通りけむに巻かれてオハリなのだ。そしておまへはどうする、「やっぱりだめだったわん」とか何とかいいながら初夏にヘイ彼女こっちへこない?とかってナンパされてしまふモテをんなだらう、違うか、え?本当に一本になりたくばとどまれ、とどまるがよい、それはこの際春でもどこでもかまわん、しかしおまへのこの一句からは「芯」なるものが一向に見えてはこないのだ、あたしはおまへのことをなにひとつ知らないがそのケーハクな煙突群に自らを沈めてしまふことを案ずる者である&そのモテ度に嫉妬する者である、ぶっちゃけ主に後者の感情が強い、どうせリアルでもモテるんだらう、ああむかつく。

十句目。

黒という混みあう色のショール巻く 同上

引き続き、渋川京子の句。黒という色を「混みあう色」と表現したのは素晴らしい。わかりやすく本質をついてゐる。そう思って黒いショールを見れば、突然に格別の風格を帯びてくる。
だがな、京子!
おまへはやはりモテることを自覚してゐるむかつく女だ!こんな別格な形容を黒に与え、黒に権威を与えたうえで、そんな色の「ショール巻く」とは何事ぞ、どこの姫か!慎め!おまへはただの一般庶民にすぎぬ、混みあう色の黒を纏い、どこへゆくのか知らぬがそれこそ春にうかされているというものだ、その麗人気どり、しぬほどむかつくーーーーーーー!!!
…と、ここまでわーわー書いたところで某氏へこの原稿を「ドヤァ!」と投げつけてみたところ、「アホはおまへじゃ!<ショール>は冬の季語やんけ!載第一回からなに生恥さらしとる、死ねクソが!!!!」ト、言はれてしまつた。がーん。そ、そうなん…?

てなわけで、いやーこんなはづではなかったんだが最後にあたしのバカがばれたね、でもショールって春でも巻くよね(悪あがき)、なに、そのほかにも誤読だらけ?知らん。あたしに書評を書かせようなどと思ったツクシが悪い、すべての責任はツクシにあるのだ。
そういやツクシも春の季語だね!たぶん!

あとがき   筑紫磐井

ご覧頂いた通り、俳句書評の通念を超えた書評である。反社会的、反倫理的とさえいえるかもしれないが、この作者の第1句集自体がそうした内容であり、そうした表題であり(注)、にもかかわらず芝不器男俳句新人賞を受賞したことは現代における俳句の在り方を示しているだろう。

しかしながら、評論という場ではまた違った議論があり、俳句では許されても評論では許されないと言う基準もあるかもしれない。特に今回の第1回評論では山田露結氏や渋川京子氏の作品の論じ方には相当の批判もあることと思う。しかし、「はじめに」でも述べたように、執筆者が『俳コレ』に対する深い敬愛を持っていることは直接聞いているし、そのことを執筆者の文章中で書くことは御中虫世界の破壊になってしまうから適当ではないが、私が「はしがき」であえてそれを書くことについては賛成しているから執筆者の本心ではあろう。

かって「破廉恥」という言葉が当世風で素晴らしいという意味で若い人々につかわれた時代があった。ハレンチなくらい昔の時代のことである。そしてこの言葉を使って若い女子大生にほめられた老教授がまさに烈火のようになって怒っていた場面を見たこともある。老教授にとっては、これは「売国奴」に等しい評価であったかもしれない。批評の言葉は難しいだけでなく時代的なのである。だからもしかしたら今回の御中虫の書評は天才的な批評が出現したと見るべきなのかもしれない。もちろんいつの時代にも天才は迫害されるし、迫害されてしかるべきだ。また迫害をはねのけて生き残ることが天才の条件かもしれない。

このような態度で執筆を依頼した詩客俳句担当の実行委員に対する批判、また当然のことながら執筆者に対しての批判があればぜひお寄せいただきたい。詩客創刊以来、不思議なことにまだ一度も使われていないコメント欄にご意見、ご批判を寄せていただければ幸いである。


(注)『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』(2011年、愛媛県文化振興財団刊)

執筆者紹介

  • 御中虫(おなか・むし)

1979年8月13日大阪生。京都市立芸術大学美術学部中退。
第3回芝不器男俳句新人賞受賞。平成万葉千人一首グランプリ受賞。
第14回毎日新聞俳句大賞小川軽舟選入選。第2回北斗賞佳作入選。第19回西東
三鬼賞秀逸入選。文学の森俳句界賞受賞。第14回尾崎放哉賞入選。

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3 Responses to “赤い新撰 「このあたしをさしおいた100句」(第1回)         ~春うらゝお日柄もよくむかつくぜ~ / 御中虫”


  1. yuyu
    on 3月 11th, 2012
    @

    おもろい!つぎもたのしみです


  2. 2012年5月17日 : spica - 俳句ウェブマガジン -
    on 5月 17th, 2012
    @

    […] http://shiika.sakura.ne.jp/haiku/hai-colle/2012-03-09-6453.html […]


  3. 工藤吉生
    on 12月 30th, 2012
    @

    気分悪い。

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