超戦後俳句史を読む  序説 ―― 『新撰』世代の時代:⑦    / 筑紫磐井

漂流する新世代

朝日新聞2012年1月10日号で外山一機が発表した「Father is sick!」15句がある。冒頭数句を取り上げると、

「天皇誕生日のハリボーがかたいの」
紫電改は育毛剤じゃないぞ諸君
ぜろせんにてをふるわたし。(直立)
「もうこうなるとパンツの星柄まで憎いわ」
「君が代の君はあなたのことではない」
「桜井和寿(41)だって。いやだね」

しかし一方で、外山は『新撰21』で選ばれたときの作品はもっと難解ではあるが内的必然性を持った句を詠んでいたように思う。朝日の記者の解説によれば、高校二年生で阿部完市に衝撃を受けたと言うが、それからして分からなくはない作風である。

水の春ヘッセの並ぶ歯科医院
うつし夜に天覧席のありにけり
あふりかにある地平線豆の花
そこからさきはくちびるになる啄木忌

いや、つい先号の「鬣」を見てすら、朝日新聞に掲載された句とは違って私の知っている外山一機がそこにいるようである。

では朝日新聞に掲載された15句は衝撃的というべきなのだろうか、確かにそういう人もいるが、しかし、私はちょっと違う気がする。例えば、来年の今、外山の俳句はここにはいないだろうという予測はつく。記者は、「しばらく発表媒体ごとに形式を変えていくという」と書いているが、読者として読んでもそうした見当はつくのである。私は、漂い始めた外山の姿を見る思いがするのである。

そう、新世代の特徴は漂流する世代が生まれていることである。北大路翼、谷雄介、関悦史、『新撰21』『超新撰21』に入っていないが御中虫。佐藤文香や山口優夢にも多少そうした気配が見えなくもない。

別に漂流したからといって悪いわけではない。わが敬愛する谷佳紀が読者の数は決して多いとは言えないが、しかし貴重な主張を持つ個人誌「しろ」をこの春、18号で休刊した。このまま廃刊になるだろうと本人も予告している。書く意欲が不足しているから、という休刊の理由を述べているが、最後の力を振り絞って書いている文章は、新世代の俳句の不可解さを取り上げた文章であった(「休刊及びFather is sick!」)。もちろんこの文章で批評されているのは外山のⅠ5句であった。

「外山一機氏の俳句十五句は衝撃だった。ここまで無意味ぶりや当たり前ぶりを披露しなければならないのか、表現行為を自虐的に笑わなければ表現にはいっていゆけないのか。このような過程を経なければ表現を受け入れられない書き手が現れたのか、と考えてしまう。」「今のところ私には、この十五句は受け入れ難い。」「あまりにも変なので、もしかすると詩そうか詩も書かれるのかと思った。そうか詩も書かれるのかと思った。」。

谷の主張をまとめたものではなくて、谷の衝撃ぶりを良く伝えるフレーズだけを選んだので失礼な引用であるかも知れない。しかし、谷が確かに当惑していることはよく分かるはずだ。そしてこの文脈の中で読むと、いやでも「しろ」の休刊との関係を読者は受け取ってしまうだろう。書けなくなったことと外山の作品の間には目に見えない細い糸が繋がっているように見えるのである。そして、先達に表現の終了を宣言させるとしたら確かにそれは凄いことであるかも知れない。

 ただ私にしてみれば、谷が外山の作品を「漂流する世代」の作品としてみれば、もう少し対応も変わってきたのではないかという気もする。

    *    *

 外山は、「詩客」の俳句時評(第43回)で、「僕はこの発言(俳句史は『新撰』で始まっている、という筑紫発言)を不用意なものだと思う。三〇年前や『新撰21』以降、本当に俳句史は始まったのか。むしろ、かつて『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』、あるいはその他のアンソロジーにおいてたしかに俳句史の産声を聞いたはずなのに、その産声がどこかで途絶えてしまったのではなかったか。僕は、そもそもこの問題が解決されない限り同様のアンソロジーをいくら出したところで状況は変化しないと思う」と述べている。外山の真摯な態度はよくうかがえるが、「俳句史」を自分の哲学の中でどう位置付けるかという問題である。外山は、「個人的な事情を言えば、僕が『新撰21』の話を聞き、そこに選出されるということを聞いたとき最初に感じたのは戸惑いと怒りであった。・・・それは同時に、「俳句史」の現在を体現しようとする試みの一角に僕の俳句が置かれうるということへの無念の思いであった」と述べていることからも、ある評価を経た俳句史と言うものを想定しているようである。

しかし、評価を経たどうかは別にすでに俳句史は歩み始めてしまっているのである。そして外山もその中で役割を負い始めてしまっている。むしろその俳句史を、これからどう評価するかが問題なのだ。子規以前の宗匠たちによる俳句史はまちがいなく膨大に存在したにもかかわらず、誰もそれに関心なく、忘れてしまっている。それが俳句史の埋没であるのだ。しかしいつの日にか、其角堂永機や春秋庵幹雄を忘却の淵からすくい上げてくれる奇特な評論家が現れないとも限らない。多少その風潮が起こり始めてはいる(今泉恂之介『子規は何を葬ったか』)。いずれにしろ、俳句史が現れたり消えたりするのではなくて、それをどう評価するかの問題であるのだ。

『精鋭句集シリーズ』以下の俳句史、つまり戦後生まれ俳人の俳句史が、ろくな評価がないということは、戦後生まれ世代を論じた資料が大井恒行編集「俳句空間」の特集「現代俳句の可能性」と小川軽舟の『現代俳句の海図』ぐらいしかないということと重なるであろう。赤城さかえの『戦後俳句論争史』のような血沸き肉躍る歴史をこの世代は持っていない。しかしだからと言って、外山が言うようにこれらの世代について批評や検証を我々が義務としてなすべきだとは思わない、いままで批評や検証がされなかったのは、その世代、前の世代、後の世代から見て、マスとしてのこの世代に「批評や検証」に値する魅力を感じられなかったという暗黙の評価があったのではなかろうか。少なくとも金子兜太や飯田龍太らの戦後派に対するほど魅力を感じられなかった貧しさがあったのではないか。つまり責任はわれわれ戦後世代自身にあるのである。

僕は『新撰21』から『俳コレ』にかけての三冊がもたらしたものが豊饒なものであったとは思わない」と外山はいう。全く同感である。しかし、上のように魅力を感じられないとしても戦後世代俳句史は存在する。特に夭折した田中裕明や攝津幸彦はこれからいくらまっても俳句史の彼らの記述が増殖することはあり得ない。すでに、俳句史は一部で完結しているのだ。現にここに提示した『新撰21』から『俳コレ』までの俳句史は、1センチの長さしかないかもしれないが、俳句史として育ち始めているとみて決定的に間違っているとまではいえないであろう。あとは、これらをどう評価できるかである。観測者と行為者が同じ空間にいるということは普通にはあり得ないことだが、それが現代史の魅力でもある。

外山はいう、「僕がどうやら「新進気鋭」の俳人として通用してしまうらしい現在の俳句シーンの表現レベルの低さに驚いたのである」。謙虚であるが、見当違いだと思われることは、決してレベルの高さで『新撰21』に外山が選ばれたわけではあるまいと思われることである。レベルを言うならはるか遠い先のことだ。だいたい、そんな先のことを見通せるほど編集者たちの見識を買いかぶらない方がいい。ただ、俳句史をゆがめる可能性を期待する、それを動物的直観でかぎだした、ということではないだろうか。そして、その一つの可能性として、前述した、外山を含めた一部の作家たちに、戦後生まれ世代にはなかった「漂流する世代」が見えたような気がする、それだけで十分なのではないか。

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執筆者紹介

  • 筑紫磐井(つくし・ばんせい)

1950年、東京生まれ。「豈」発行人。句集に『筑紫磐井集』、評論集に『定型詩学の原理』など。あとのもろもろは省略。

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