俳句時評 第5回(山田耕司)

「1%の俳句」と「鳥籠は鳥のような何かを得る」  山田耕司

「第54回群像新人文学賞」が発表され評論当選作として、彌榮浩樹「1%の俳句—一挙性・露呈性・写生」が選出され、「群像」6月号に掲載された。評論部門には129本の応募があり、そこからの受賞。選考委員は、伊藤たかみ、絲山秋子、田中和生、長嶋有、松浦寿輝(敬称略)。

彌榮浩樹といえば、昨年刊行された句集『』の清冽な句群が記憶に新しいところであった。世界観に作者ならではの弾力があり、その作者の俳句論ということで、受賞の報に接して、はやく読んでみたいと願ったほどであった。

あらかじめ読後の感想を申し上げれば、この文章は彌榮浩樹の<信仰告白>。
彼が俳句の「固有性」と認ずるものを以て、彼が俳句をいかなるものと捉え帰依しているか、それは記述してある。そのことを疑うものではない。信仰への口出しをすべきではないという配慮があるからである。

しかし、この文章をして<俳句形式の固有性から言語表現の「謎」を見通す画期的芸術論>(目次における当文章へのキャッチコピー)とウタイアゲている文言に接して、はて、どこをもって「画期的」なのか、その疑問に立ち止らざるを得なかった。

「お〜いお茶」のHPから句を引用し、それらを<一般大衆が趣味として行う膨大な営為>と位置づけ、それとは別に<少数の、一流の、すぐれた作品群もきっと存在する>として、これらの存在を語り得てきただろうか、という問題提起から文章は始まる。「例えば」として次の五句を掲げる。

鶏頭の十四五本もありぬべし       正岡子規

遠山に日の当りたる枯野かな       高浜虚子

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり      飯田蛇笏

甘草の芽のとび\のひとならび     高野素十

階段が無くて海鼠の日暮かな       橋 閒石

おそらくこれらの句が、その1%の例示なのである。

この小論で明らかにしたいのは、先鋭的な文藝形式としての俳句の固有の性質についてである。最先端の世界文学・詩型としての俳句性の核とは何かの探求である。ただし、それは、ことさら前衛的な実験的な俳句について語ることでは全くない。もちろん、真に優れた文藝作品であるならば、そこには本質的意味での前衛性、実験精神、難解さは必ずある。謎のない一流の藝術作品など存在しないはずだ。しかし、そのことと、ことさら前衛・実験的な方向へ走ることとはまったく別である。俳句においては、数々のルールを破り実験的な作品をつくることは、実は、たやすい。しかし、俳句とは、わずか十七音に課せられたすべてのルールを無理に満たすところにその醍醐味が現れる、そんな文藝型式なのだ。短歌との違いも、音数の少なさという量的な違いだけではなく、数々のルールの縛りが輻輳しているための言語表現の質的歪みにある。こうした俳句の固有性を前提にすれば、真に前衛的な実験的な俳句とは、ルールからの逸脱にではなく、あらゆるルールを引き受けて実現しようという伝統の遵守にこそある、というのが僕の立場である。この小論は、前掲した五句を中心に考察しながら、今まで語られてこなかった俳句の深淵を明らかにしよう、そんな目的を持っている。つまり、圧倒的多数の99%の大衆文学的俳句先品によって蔽い隠された1%の俳句の核の追究、それがこの小論の目的である。

あらかじめ、1%の優れた句の存在という前提を承認しなければこの文章は読み進められない。1%という数字はあくまで喩であるとしても、すぐれた句とは客観的に普遍的に優れていると筆者が考えているフシがうかがえる。

「例えば」という言葉でこの五句を出してくるのだが、どうしてこの五句なのかがよくわからない。この後に繰り広げられる説明は、どうです、この五句において僕の説は証明されているでしょう、という調子で進んでいくのだが、であればこそ、「例えば」とは、何のたとえだったのかを前提として示さなければならない。結局、筆者が「いい俳句」と「思っている」句、1%の句、ということなのだろうか。

対象を限定した方が論じやすいのは、よくわかる。しかしいくらなんでも乱暴。まず、ここから読者としてうまく乗れない。

この段階においてさえ「前衛」という言葉の使い方が無検証。それは「伝統」についても無検証である可能性が高いだろうなあと思っていたら、やはり。

1 a「季語」
既に考察したように、「季語」は、単に季節を表す言葉、季感を発生させる装置なのではない。重要なのは、他の特質とからみあいながらの「季語」のふるまいである。わずか十七音のなかに露出する、「季」の強いアクセントをもった特殊な詩語、これが「季語」なのだ。

ううむ。
季語とは、歴史的な経緯からすれば、俳諧の連歌において、イメージや詩的論理を飛躍させるあそびの進行上、季節を移動させていく、そのための記号であり、季節をあらわす約束事としてひとまず定められた。当季、すなわち体感している季節、そこから離れて言語上の飛躍をもたらすための契機としてはあらかじめ面倒な枝葉をもたないはずの性質を有していて。季語そのものが強い主張をしていては二の句が継げなくなる。俳諧の連歌はそうした約束事をひきうけてこそ、複数の人間が座として作品創造にあたるという遊びを維持することができた。つまり「他律」の遊び。

それと違う、というならば、そういう検証してほしいなあ。

固有性というものを同定すると聞いちゃあ、通時的にも共時的にも差異と共通項を挙げてくれるんだろうなと思うわけで。

また筆者の認識している俳句が江戸俳諧からは切り離されているとするならば、季語とは誰がどうやって選別するのかを踏まえた上で対象を限定してほしいなあ。あるいは季語をして特殊な詩語であるとするのを、「機能」として説明するならば、自らが仮に呼び出した例句で実証するのみならず、そのことを対象とした論説があるべきだとは思うのだがなあ。

限られた1%の句と99%の差というものがあり、その違いを決定づけるものとして筆者は次の三点を挙げる。

1. 俳句の異様な短さによる「一挙性」。
2. 日本語のさらには言語の本質が、抜き差しならぬかたちであらわになる「露呈性」
3. 1・2を前提にした、俳句の「写生」の正体。

ちなみにさきほどの「季語」の定義は、1の「一挙性」の説明の要素。

いちいち反証していく紙幅がないし、だいいちそんな気にもなれないのだが、要するに、筆者がそう思っているということを土台にしてそのままのみ込まないと話が進まないところが論としてもったいない。とくに「写生」についてのセクションで仁平勝の文に言及しているあたりは、ちょっとしたシャドウボクシングの観あり。

俳諧の約束事と対置させるためにこそ<眼前の対象をありのままに描く写生の方法>という表現にはなったが、要は、俳諧連歌の没個的であり観念的な手法からいかにして作品創造の主体としての近代的な個が距離をとり得たのか、あるいはとり得なかったのか、という現場確認こそが仁平の論点であり、その言い回し方をとらえて<“無垢な現実の風景”に対する“俳句作品(言語表現)”という二分法に基づいている>と捉えるのは、いいがかりというかイチャモンというか、まあ、ひとことで言えば誤読なのではないだろうか。仁平勝こそ、俳諧および俳句形式の通時性とともに近代という共時をもって「写生」について言及してきた論客であり、むしろその通時性や共時性においての類型化の手際にこそ突っ込みどころがありそうな批評家だと思うのだが。どうせ仁平勝の意見に触れるなら、正面突破をすれば良いのに、と、こりゃまたもったいない。仁平の「言い回し」をとらえて<俳句の「写生」を肯定するにしても否定するにしても、今までこのような粗雑な語られ方しかしてこなかったのだ。>という筆者の認識は、正直、品がない。品なんかどうでも良いというのならば、実を見せて欲しいところなのだが、そこに検証の形跡が見えない。

言いたいことは提示されるが、まあ、言ってみれば、釣り針にカエシが無い。
これはこの論を通じて感じること。

選評において最もこの論文を強く推挙しているのは、田中和生氏である。

これは敗戦直後の一九四六年に発表された桑原武夫「第二芸術」が提示した戦後文学を貫くイデオロギーに対しての根源的な批判を加え、その現在までつづく思考の枠組みを根本的に乗り越えてしかも俳句を文学として語ることに成功した、文学史的に言ってきわめて重要な評論文である、というのはまたいつもの僕だけの妄想かもしれないけれど、でもたぶん論者が「第二芸術」を過去のものにしようという問題意識をもっていたことは間違いない。それは冒頭に置かれた99%の俳句のならべ方とか、俳句が本当の意味での芸術ではないということを意味する「二」から「1」へという、象徴的な数字の使い方からよくわかる。しかしその主張がすぐれた「1」%の俳句を第「二」芸術かもしれない凡庸な99%の俳句から区別して守るためのものではなく、その「1」%がいかに文学として、言葉の芸術として成立しているのかを示そうとしたものであることが、現在の文学論としてきわめて刺激的だった。
 だから僕の妄想上の文学史では「第二芸術」は完全に過去のものになった。そんな評論の誕生に立ちあって、当選作に推せたことが嬉しい。

選評を見て、ああ、たしかに、と膝を打った。何かに似ていると思ったら、「第二芸術」だった。まず、芸術に第一やら第二という等級を付ける思考の卑小性とその論拠となる例句の挙げ方の恣意性、俳句を客体化するにあたり、俳句そのものに何らかの能動性があり作者や読者はその誘発において行動しているかのような捕捉の仕方、そこらへんが似ている。「第二芸術」が外国文化や科学性をアプリオリなものとして位置付ける行為に、大衆に覆い隠されているがその奥にあるはずの優れた句、そしてそれらが帯びるとする俳句の固有性というものを『1%の俳句』が既定のこととして扱う手さばきが重なった。私の中で田中氏の指摘を受けて第二芸術が過去からよみがえったのは、まことに皮肉。

なぜ彌榮浩樹は、俳句の特徴をアプリオリなものとして認識しているのであろうか。

昨年刊行された『超新撰21』のシンポジウム&竟宴にて、関悦史が興味深い提案をしている。

シンポジウム第2部「君は定型にプロポーズされたか」は関悦史の司会、パネラーは清水かおり・上田信治・柴田千晶・ドゥーグルJ.リンズィー・高山れおなで進行した。

冒頭で関は「アフォーダンス」ということを述べ、ものが人に働きかけることを指摘した。たとえば、バットがあれば人はそれを振る。ボールがあれば人はそれを投げる。バットを投げる、ボールを振るということは普通しない。同様に形式(俳句)が人に何をさせるか、というのである。
けれどもこの観点を関自身がすぐに引っ込め、上田信治提出資料の「新撰」「超新撰」世代150人150句を中心に話が進行した。
小池正博の文章より 週刊「川柳時評」(2010年12月24日)

アフォーダンスはギブソン(1904-1979)の提唱した生態心理学の基本的概念である。虫は意志をもって花に向かっていくように見えるが、それは花の提示する媒質によって特定の種の生物の固有の行動が誘発され、つまり、花の都合で虫が意志をもっているように振る舞わされている、ということであろうか。

俳句形式をアフォーダンスとして捉える場合、そこには個々の作家の任意などはひとまず措いて、形式が誘発するものに注目することとなる。

俳句形式にアプリオリの固有性を見いだす視点は、こうした環境の誘発があってこそ個々の創作活動が引き起こされるという構想と重なる。

仮に、こうした説を下敷きに俳句形式と作者の関係を検証する場合には、まず、作者の個性とは、何を環境として認識しているかということに大きな影響を受けると同時に、誘発される行動が、個々の自発的な主観性よりは、環境適応力というべきものに律せられるであろうことが想定される。

歴史文脈での「継承」でもなく、異文化との比較から得られる自己同一の果ての「独自性」でもなく、その集合の固有性を考えようとしてみよう。すると、そこには、この他律的な環境への順応を無意識に行うためのガイドラインを「伝統」と考える視座が生まれるのではないか。

これは、仮説。

伝統とは、形式そのものに、コップの取っ手のように備わっており、説明無しでも創作という行動を誘発するもの、という考え方があるとして、そこからみたら、その誘発に耳を貸さずに個の「自由」を訴える行為は「狂気」にみえることだろう。狂気とは、環境との関係の破綻を指すこととその視座からは理解されるだろう。「前衛」という言葉をこの「狂気」と結びつける傾向があるとしたら、それは、こうした無意識の順応性を是とする集団が、自己集団の安全のために「困った人たち」を相対的に求めたことから発生しているのではないか、とさえ思うのである。

『1%の俳句』のクライマックスにおいて、高柳重信を<前衛系俳句のリーダー格だった>と紹介しているところには、高柳重信の俳句批評の方向性を彌榮がたいして理解していないことが露呈していると同時に、ヒールを登場させてやっつけてみせることで安堵したいというおびえのようなものを感じずにはいられなかった。

彌榮が引用している高柳重信の「写生への疑問」は昭和31年に「俳句」に掲載された文章だが、彌榮はかなり都合良くトリミングをしてしまっている。高柳は作家の内面の革命を以て詩であると位置づけ、<その作家の主観的立場からすれば、いかに悲壮の極みであり厳粛な緊張感のあらわれであるとしても、それが俳句という形式のもつ調べを借りただけの退屈で平凡な現実の直叙として、結果的には、貧しい描写に終っているとするならば、それはやはり「写生」とたわむれているというより他はない>と記しているが、彌榮の文章にはここが引用されていない。ここで高柳は、いわば無意識に環境からの誘発を是とする姿勢を保つことでは、個々の感情的な内実はどうあれ、少なくとも個人としての創作として位置付けることはできないのではないか、という立場にたっており、形式をアプリオリのものとする姿勢の表象として「写生」という記号を用いているのである。

先ほどからの仮説の延長で述べるならば、高柳重信は、形式の誘発を無視しているのではなく、むしろ、その誘発性に対して近代的な個を対置させ、他律的な要因を自律的な様式へと向かわせる意志を一貫させた作家である。その論においては、形式の誘発を無視する「狂気」を排除するのではなく、それすらも方法として自己の意識下に置くことを求めた。一方、そうした意識の放棄ともいえる形式への無意識な順応をこそ「写生」という語で位置付けたフシがある。仮に問題化するならば、高柳の依るところの個人というものがはたしてどのように自律と同義であるのかを、詩的表現の領域において検証すべきではなかったか。

ところが、彌榮は高柳の文章を抄出するにあたり、<X.現実は退屈で平板で平凡である。 Y. 写生とは現実をそのまま書き上げただけの貧しい模写、片輪な報道記事である。 Z. 写生による俳句は想像力の次元に達せず、従って詩ではない>という三段論法で写生を捉えていると記述して、自身の論のヒールに仕立て上げるようなケチなまとめ方をしている。これでは、その先で高柳重信の批判をしてみようとも、共感のしようがない。もちろん彌榮の引用をそのまま高柳の志向であると検証もせずに鵜呑みにする読者には、そうでもないだろうが。

彌榮の論文がユニークだから異論を唱えているのではない。むしろ、自らの信仰を告白するするかのように、賞賛したい対象を都合良く演繹化してしまう手法と、対立する論点への反論という自己論調の深化の契機を安いところで切り抜けようとするところに、「せっかく三万字も書いたのになぁ」と惜しまれるのである。

自分自身の俳句を書く上に、いちばん大切なことは、何でもよいから、なるべく早く、自分の独断を生み出し、これを育成し、構築することである。あらゆる面で、あらゆる点で、常に自分の独断論を展開できるように、自分の現に立っている場所と、その姿勢を見極めることである。そして、常に如何なる処にあっても、自分の独断論が展開できるようになったならば、それを自分なりに様式化することである。そして、俳句における思想というものも、それに他ならない。人と議論して言い負けるということは、その人の独断が、それなりにまだ首尾一貫せず、したがって、いまだ独断論にまで成長していない証拠なのだ。こんな状態では、ろくな俳句が書けよう道理がない。また様式化を完了していない思想は、それは単に、彼の書斎の本箱にすぎない。そこには多くの豊かな内容があるが、要するに彼ではないのだ。単に相手を言い負かすためだけの文章は、みんな、そんな本箱から適当な書籍をぬき出して下敷きにした、備忘ノートのようなものだ。
高柳重信 「俳壇八つ当り」より(「俳句」昭和33年4月掲載)

個人的な感想を繰り返させていただくならば、彌榮浩樹の句集『鶏』は2010年度、出色の一冊であった。無意識のうちへと潜り込みつつ安定を求める行為を保守的傾向とするならば、環境としての形式に対して個としてあらがい立上がることを以て俳句への態度とする高柳の鼓舞の言葉は、現在にこそ有効なのではないかとさえ思われる。『1%の俳句』の筆者が、そうした個のありようをどのように位置付けるのか、俳句作者としての信頼をよすがに、意見をうかがってみたいところでもある。

さて、形式からの誘発への無意識な順応を、客体化し批評精神において捉え直す行為は、高柳が示すような個の立場からの様式の確立という道を経ることに限定されているわけではない。そんなことを再認識した実例をひとつ。上記引用でアフォーダンスという視座を提案していた関悦史、そして榮猿丸、鴇田智哉の三人からなるユニット<SST>が、まさしくこの「詩客」に発表した実験作品「鳥籠は鳥のやうな何かを得る」。

詳しくは関悦史の解題をご覧いただきたい。<3人の誰でもない人格のようなもの>を招来しようとする試みは、近代的な「個人」をこそ方法の拠点とする高柳重信の思想と対置してみると興味深い。3人の作業が、たんに形式からの誘発にしたがうものでも、また「写生」に基づくものでもないことは作品からも容易にうかがえる仕上がりとなっている。形式の誘発を聞きとり身を委ねることもできる作家たちが、他律を自律に切り替える作法として、作家としての任意性を偽装してみせる作業、これは面白く、形式についての考察としてもかなり雄弁であるとはいえまいか。

執筆者紹介

山田耕司(やまだ・こうじ)

1967年1月生。群馬県立桐生高校在学中、俳句研究五〇句競作佳作第二席(昭和59年/1984年・11月号)。

俳句同人誌「未定」を経て、現在「円錐」同人。句集『大風呂敷』(大風呂敷出版局)『超新撰21』(邑書林)。

群馬県桐生市在住。

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One Response to “俳句時評 第5回(山田耕司)”


  1. 5月27日号 後記 | 詩客 SHIKAKU
    on 5月 27th, 2011
    @

    […] 山田耕司さんが時評で取り上げたのは、群像新人文学賞を受賞した彌榮浩樹氏の「1%の俳句―― 一挙性・露呈性・写生」。みなさんはお読みになりましたか? 私は読み始めてすぐつ […]

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