俳句時評 第40回 湊圭史

『徳永政二フォト句集 カーブ』、ほか

文芸作品とヴィジュアル表現のコラボ、というのはよくある話で、どちらかというとうまく行っていない、本人たちの自己満足で終わったものが多い、と私は思うのですが・・・。

『徳永政二フォト句集 カーブ』(あざみエージェント)は、歌人・岡井隆氏が中日新聞の「けさのことば」でとりあげたことで、「ひそかなブーム」になっている川柳句集(京都、四条通ジュンク堂のポップより)。フォトの部分は、藤田めぐみさんの写真で、上に書いた実感からすると、まれに見るコラボの成功例。

やわらかいタオルひとりというものよ   徳永政二
空を押すように金魚の浮くように
ここですかゆがんだマルのまんなかは

収録の川柳句はどこかつかみどころない、ふわふわとした表現。短詩型はイメージが浮ばなければ、という方が多いですが、政二さんの句は、感触だけで実感をカバーして、十二分に説得力があります。たぶん、句自体が固定したイメージを押しつけていない、独特のかるみをもっているので、写真とべたべたしたり、つんつんしたりしないで、飄々と立ち姿を見せている。

藤田さんの写真も、よくある日常の点景でありながら、ほどよい非人称感を出している。写真のサイズを小さめに、その大きさもリズムよく変えて、余白を活かしている。これは装丁の妙ですね。出版にたずさわる人のノウハウとしては平凡なものかもしれないけど、あんまり、これほど心地よいリズムになっているのは(私のせまい経験でですけど)見たことないです。

もう少し押してください箱だから   徳永政二
一本の木から汽笛を聴いている
よくわかりました静かに閉める窓

川柳の三要素というのがあって、「かるみ、滑稽、うがち」がそれなんですが、現代川柳のおもしろさとしては、「かるみ」を、私はいちばんに押したいですね。バカバカしさ、といういみの軽さ(それも使いようですが)ではなくて、このフォト句集に感じられるような、世界にやわらかく触れているようなありかた、という意味で。

先週の松本てふこさんの時評現代俳句協会青年部発行『Ιν Σιτυ』第一号について、ミステリー的展開として構成としてまとめて、「ヴィレッジ・ヴァンガードに句集を置いてもらえるには、ということだ。」というオチをつけているのが面白い。「ヴィレッジ・ヴァンガード」のおしゃれさん具合(そんなにおしゃれでもないか、笑)がムズムズするタイプの人間としては、そうだと、あまり関係のない話になるなあ。なんというか、俳句の世界に完全に入っていない人間としては、俺が面白いと思うものをみんな書いてちょうだいよ、ってだけなのです(あ、言っちゃった)。

『Ιν Σιτυ』第一号は、宇井十間さんの俳句世間ではワガママに見えるらしい問いかけに引きずられて、本質的な議論がなされていると読みました。なんだか、けっして流行らない方面の議論ですけど、「制度」としての「俳句」論、といったところですね。まとめにあたるひとつが、田島健一さんの「「俳句以後」について」という一文で、きれいに書かていて参考になるのですが、

「俳句」とは、再生産を繰り返しているように見えながら、実は常に「俳句ではない」ものを取り込みつつ、新たに俳句として再定義されていく、という再帰的な仕組みそのもものに与えられた名前です。

ってところは、ジョージ・オーウェルの『1984』の世界をほうふつとさせて、大丈夫かな? これが本当なら、じつに完結した制度ですね、俳句は。

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