戦後俳句史を読む (20 – 3)- 相馬遷子を通して戦後俳句史を読む(3) –

中西夕紀 ②

  • 6.自然と遷子について述べよ。

中西:師の秋桜子は美しい風景句を作る人であったから、遷子の出発点は美しい風景句であった。また、高原派と呼ばれている時代も、長野県の山の自然を賛美して作っていたのであるから、医師俳句を作っている『雪嶺』時代も、吟行はしていたはずで、「わが山河」と言うほど八ヶ岳や浅間山、或いは里山の風景に馴染んで俳句に描いていたものと思われる。窓を開けると山が見える佐久という美しい山国の環境は、われわれ東京に住んでいるものとは違って、自然は美しい反面、寒さの厳しさや、雪の恐ろしさを常に身近にしていたことだろう。自然の厳しさを知った人の「わが山河」を描いている。

  • 7.職業・仕事と遷子について述べよ。

中西:遷子を追っていく中で、馬酔木で職業俳句の特集を見た。一人一人の句数も人数も多くなかったが、医師俳句が並んでいた。そのときバッハを思い出した。同じ時代の作曲家の作品と一緒に演奏されると、バッハの曲がとてもチャーミングだった。これと同じで、医師俳句の中にあって、遷子の句が、患者との対応が真に迫っていると思った。無骨で、重々しい遷子の句が、その中にあってとても生き生きと医師というものを描いていた。医師俳句というものは、患者との対人関係を描くものと、遷子に教わったように思う。医師個人を描いても、立体的には見えてこない。時に厳しい見方も随所にあるが、患者の農民の様子を描いたからこそ、医師としての遷子の考え方や、処し方が作品から立ち上ってきたのだ。それは、日々の事柄ではなく、遷子の医師として一貫した考え方が描かれているからだ。

  • 8.病気・死と遷子について述べよ。

中西:遷子にとっては病気は常に身の回りにあったのである。自身の生来の胃弱と、戦中戦後の肋膜炎、そして死に到った癌と、遷子は蒲柳の人だった。と同時に医師として、毎日病気の人を治療していたのである。医院に来る人は病人ばかりなのだから、病気と死は、医師ではない人に比べると、かなり密接にあったと考えていいだろう。

だからと言って、病気と死に慣れるものでもない。患者の治療や、死期の予測には慣れても、自身の病気と死は予測もできなかっただろう。しかし医師だから、自身の死期は他人には言わなくても、分かっていたようだ。死に向かっての志を描いた「冬麗の微塵となりて去らんとす」という辞世を死の間際に用意できたのも、死の準備がきちんとできていたことを物語っている。

今まで多くの患者の死と対面してきた遷子には、その都度死に思うところがあったはずである。患者のなかには、貧しくても立派に迎えた死があったはずだからである。

人はどんなものからも学ぶものだと思う。「桐の花人死す前もその後も」「薫風に人死す忘れらるるため」これらは『山河』昭和四十五年の作である。遷子の癌が発見されたのが四十九年三月であるから、大分前になるが、死について、深い思いが描かれているのがわかる二句である。「人死す忘れらるるため」という考え方は「微塵となりて去らんとす」を引き出した、発想の入り口だったかもしれない。死によってすべてなくなるという発想は、再生も輪廻もない、無宗教のものである。死を学ぶことを医師として良かれ悪しかれ患者を通して体験的にしていたと想像した。

  • 9.遷子が当時の俳壇から受けた影響、逆に遷子が及ぼした影響について。

中西:俳壇というのを作品面から言えば、遷子は総合誌などから時代的に何を詠うかという面で、影響を受けていたと思う。『山国』の戦時中の中国でも戦争詠、『雪嶺』の職業俳句である医師俳句、『山河』の境涯句など、遅れがちであるが時代に沿わせている。俳壇の作品の流行があるとしたら、それに乗っているだろう。だから反対にあまり目立たなかったと言えるのではないだろうか。

今までに遷子が俳壇に影響を及ぼしたと思われるものは、「馬酔木の高原派俳句」と言えようか。そのように言われるのは、遷子にとっては不本意かもしれないが、当時、貧窮生活俳句がある一方で、高原で作る清々しい俳句も、やはり社会を動かしている力強い生活者の余暇俳句であったに違いない。この研究以後の遷子の受け取られ方が変わることを望み、且つ、孤高の俳人である遷子がどのような影響を及ぼすのかが楽しみなところではある。

  • 10.あなた自身は遷子から何を学んだか?

中西:一回目の癌の手術後すぐの句作、そして癌でありながら、自宅療養中の評論執筆や、座談会など、そして死の直前まで俳句を続ける精神力に感服した。

俳句作家には色々なタイプがあると思うが、自己の生き方の思想的部分を扱っていること、特に無宗教の身の処し方を描いているところに感心した。しかし、真似はできないと思った。

戦後俳句を読む(20 – 3) 目次

戦後俳句を読む/「女」を読む

戦後俳句を読む/それぞれのテーマを読む

相馬遷子を通して戦後俳句史を読む(3)

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