雄雄しかる樟と見えしが後ろ背にぞつくりおほき
念ひ断つために呟くさやうなら きんぎんあかね けふのゆふ雲
花ごとにかの世のひとのひとりづつ降りきてゑまふ夜の薔薇園
徳高博子歌集『ローリエの樹下に』(砂子屋書房刊)
先に失った母と、この歌集の時期に見送った父への思いが基本的なモチーフとなっているが、挽歌を読んでも、心が重苦しくならない。香りの良いワインのような歌がたくさんあって、ページをめくる心はやすらかであった。それは、身近な人の死を素材として生のまま投げ出さずに、きちんと詩に昇華して扱っているからである。そのような詩的研鑽を可能とする言語文化圏に作者は属している。掲出歌のように、自然の景に託して己の心事をのべようとする歌のかたちが、きっちりとできあがっている。だから、よけいな感傷の押しつけがない。それは潔いと言ってよいのである。
もはやなんぴともわれを侵さぬ 幾千のあしたの後の寂しき勝利
未だ知らぬこの世の珍味かぞへつつリヴァイアサンを
三首続けて引いた。精巧で技術的に完璧な歌だ。高度な自意識によってソフィスティケートされた修辞は、時に自身のもっとも内奥にある願望をも美意識の花の後に隠すのだろうと思われる。うつくしすぎる、というへんな誉め言葉を上のようないくつかの歌に捧げておきたい。もっとも上の三首めは、ただうつくしいだけではないが…。私はここで、この歌集の解説を書いている黒瀬珂瀾も含めて、春日井健の存在が、この一群の人々にとってどれだけ心の支えだったのかということに思い至らざるを得ない。おしまいに引く。
葬送の皐月の空は美貌なり今生後生とほる光に
鉄線のむらさきはつか揺らす風いづこにもいます君と想はめ
鉄線は、春日井健が愛した花なのだそうである。