四十四番 〇〇いま(俳句の「型」の研究【6】)
左勝
アバドいま秋思のかたち緩徐章 橋本榮治
右
蝉声いま絶好調の 樹下に憩う 伊丹三樹彦
掲出両句、上五を「○○いま」とする点が共通する。
左句のアバドは、クラシック音楽を少しでも聴く人なら誰もが知っているクラウディオ・アバドのこと。ミラノ・スカラ座やベルリン・フィルの芸術監督などを務めた世界的な指揮者である。交響曲か何かを指揮していてアダージョ楽章に入った時のアバドの姿が、さながら「秋思のかたち」であるという。アレグロ楽章のようにオーバーアクションで髪を振り乱してといった指揮ぶりではなく、タクトの動きはこまやかで顔の表情は思い入れたっぷり、そこにゆったりとした哀切なメロディーがかぶさってくる。なるほど、「秋思のかたち」とは巧妙な見立てに違いない。仁平勝によれば、〈アバドの長い顔が「秋思」にはぴったり〉なのでもあるらしい。その言及は、仁平の『俳句の射程』(二〇〇六年 富士見書房)に見えるが、彼は引き続き以下のように述べている。
ところで上五の「いま」という措辞は、ちょっとめずらしい。この語によって中七のあとの句切れが強調され、名詞で終わる一句に切れが生まれている。ならばこれは橋本榮治のオリジナルかというと、そうではない。クラシックの愛好者らしい作者の脳裏には、たぶん次の句が保存されていたはずだ。
ラヂオ今ワインガルトナー黴の宿 星野立子
こちらは往年の名指揮者ワインガルトナーである。(中略)上五の「今」という副詞が効果的で、いっさい動詞を使わない一句のリズムを支えている。榮治はそのかたちが気に入って、ワインガルトナーをアバドに変えたところで、そのまま使ってみたのである。(中略)こういう試みもまた俳句の魅力だろう。これでだれかもう一人くらい、上五の「いま」を使ってくれれば、また新しい類型が生まれるかもしれない。
これを読んだ時ちょっと驚いたのは、仁平が、立子のさして知られているとも思えないワインガルトナーの句を適切にも引き合いに出しながら、ずっと有名なはずの虚子の句のことをすっかり忘れているらしいことだ。すなわち、
神慮今鳩をたたしむ初詣
出御今二千六百年天高し
の二句であり、特に「神慮今」の方は「初詣」の例句の代表的なもののひとつであろう。ちなみに立子の句は一九三七年の作。仁平も指摘するように、同年、来日したワインガルトナーが新交響楽団(現・NHK交響楽団)を指揮した公演放送を聴いているのだ。一方、虚子の「神慮今」は、一九三五年の元旦に鶴岡八幡宮に参詣した折りの作、「出御今」は一九四〇年十一月十日に挙行された紀元二千六百年記念式典に参列してのもの。つまり、立子は「神慮今」という父の名吟のレトリックを二年後に活用し、さらにその三年後に父がもう一回使ってみせた、という流れになる。「神慮今」がこの句型の初出かどうかは知らないが、さしあたり「新しい類型」は、昭和十年代に、虚子・立子父子によって形成されていたと思ってよさそうだ。
さて、右句は、その類型を応用した最新作である。句意は明瞭。「蝉声いま絶好調」というほとんど子供っぽいような、素朴な表現が魅力的だ。好感は持てるのであるが、比較してこちらの方がすぐれているとはまさか言えない。ごく順当に左勝。
季語 左=秋思(秋)/右=蝉(夏)
作者紹介
- 橋本榮治(はしもと・えいじ)
「馬酔木」編集長を経て、「琉」編集発行人。掲句は、第二句集『逆旅』(二〇〇二年 角川書店)所収。ただし、引用は上記仁平著より。
- 伊丹三樹彦(いたみ・みきひこ)
一九二〇年生まれ。「青玄」主宰を経て、「青群」顧問。掲句は、「俳句」二〇一一年十一月号掲載の「蝉仙人」八句より。