私の好きな詩人 第28回 ─大野新─ 神尾和寿

 私がとりわけシビレタ詩人と言えば、ボードレール、友部正人、西脇順三郎の名を挙げていってよい。それぞれ順に、小学校、中学校、高等学校に通っていたときに経験をした。ただし、詩作するという生き方をストレートに示してもらった詩人となれば、誰よりもまず、大野新さんである。

 大野さんの声は低くて、また、抑揚があまりなかった。研ぎ澄まされていた。詩も詩論も。詩に関わっている際の、表情や態度にしても。

 そもそも、大野さんの生自体が、死に接しながら研ぎ澄まされていたのだ。事実のレベルで指摘するならば、たとえば、若き日の大病であり、息子さんの事故死であり。そうして、大野さんとしては、詩作するという生き方を必然的にせざるを得なかったのだろう。

 70歳を過ぎた頃に、「こんなに長く生きるとは思ってもいなかったのではないですか」と、年少の詩友が問いかけたという。それに対して、「ああ、そうだねえ」と、ただただ率直に答えられたそうだ。大野さんにおいては、生と死との間に隙間はない。おそらくそれ故にだろう、その生には、ぴったり人肌の温かさが通っていた。

 その大野さんが、昨年4月に実際に亡くなられた。そして、それから2年も待たずに『大野新全詩集』(砂子屋書房、2011年)が刊行された。

 こうしたスピーディな展開は異例のことだと、いたるところで聞く。大野さんにおいてずうっと抱かれ続けてきた死が、生き残っているわれわれを走らせたのだ。

死は
ひろがりではなかった
死は
寝台のはばをあふれようとはしなかった
ただ 死者は
水になげこまれたひらたい石のように
浮力にとまどいながら
かぎりなくおちていった
 
砂糖水をかきまぜるように
すこしおもたい
そんなしびれが
死者の内側では急にかるくなる
そして
あの透明な凝滞が
すこしずつ速度をまして
搬ばれてゆく
 
ある地点から
死者は見えない
死者の名を呼びつづけ
死者をおおった
ぼくの喉頭粘膜のゆくえとともに
けれど
水力のように
遠くへ働いてゆくエネルギーが
ふいにぼくの内部に灯をともす
 
そのとき
ぼくは生の側にはじける
枯れる草の種子のように

(「ある確証」『階段』から)

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