私がとりわけシビレタ詩人と言えば、ボードレール、友部正人、西脇順三郎の名を挙げていってよい。それぞれ順に、小学校、中学校、高等学校に通っていたときに経験をした。ただし、詩作するという生き方をストレートに示してもらった詩人となれば、誰よりもまず、大野新さんである。
大野さんの声は低くて、また、抑揚があまりなかった。研ぎ澄まされていた。詩も詩論も。詩に関わっている際の、表情や態度にしても。
そもそも、大野さんの生自体が、死に接しながら研ぎ澄まされていたのだ。事実のレベルで指摘するならば、たとえば、若き日の大病であり、息子さんの事故死であり。そうして、大野さんとしては、詩作するという生き方を必然的にせざるを得なかったのだろう。
70歳を過ぎた頃に、「こんなに長く生きるとは思ってもいなかったのではないですか」と、年少の詩友が問いかけたという。それに対して、「ああ、そうだねえ」と、ただただ率直に答えられたそうだ。大野さんにおいては、生と死との間に隙間はない。おそらくそれ故にだろう、その生には、ぴったり人肌の温かさが通っていた。
その大野さんが、昨年4月に実際に亡くなられた。そして、それから2年も待たずに『大野新全詩集』(砂子屋書房、2011年)が刊行された。
こうしたスピーディな展開は異例のことだと、いたるところで聞く。大野さんにおいてずうっと抱かれ続けてきた死が、生き残っているわれわれを走らせたのだ。
死は
ひろがりではなかった
死は
寝台のはばをあふれようとはしなかった
ただ 死者は
水になげこまれたひらたい石のように
浮力にとまどいながら
かぎりなくおちていった
砂糖水をかきまぜるように
すこしおもたい
そんなしびれが
死者の内側では急にかるくなる
そして
あの透明な凝滞が
すこしずつ速度をまして
搬ばれてゆく
ある地点から
死者は見えない
死者の名を呼びつづけ
死者をおおった
ぼくの喉頭粘膜のゆくえとともに
けれど
水力のように
遠くへ働いてゆくエネルギーが
ふいにぼくの内部に灯をともす
そのとき
ぼくは生の側にはじける
枯れる草の種子のように(「ある確証」『階段』から)