日めくり詩歌 短歌 斎藤 寛 (2011/12/07)

駅前にSTARBUCKS慰安所のごとく灯点ひともし前線遥か    藤原龍一郎


 

『ジャダ』(短歌研究社刊、2009年)より。もとの歌集では、「STARBUCKS」は縦書きの中に横書きの表記で入っている。歌集のタイトルの「ジャダ」は、「jazz」と「dada」の合成語で1920年代に流行した言葉だそうだが、合成語とは思わずに何か呪文のような2音と受け取ることもできる。ずっしりとボリューム感のある一冊である。萩原朔太郎の詩篇の断片、林田紀音夫、久保田万太郎、戸板康二、赤尾兜子の俳句、そして藤原さんの自作の俳句を、詞書、あるいは歌の一部として読むことができるような作品も収められている。一冊の歌集にして二冊か三冊分の作品群を享受したような読後感がある。途中何箇所か「藤原龍一郎、自作を語る」風のエッセイもはさまれている。

この一首は、「ダムダム-1931そして2006-」と題された一連30首より。この一連は、1931年の帝都東京と2006年の首都東京を詠んだ歌を対置し、「1931」を詠う前半15首には、《あからひく赤き招集令状にわが名書かれていたる秋夜か》というような歌が配され、それに続いて「2006」の現在を詠う後半15首の冒頭に、この《駅前に・・・》が置かれている。1945年をもって私たちの状況は完全に転回したのだ、というような戦後広く流布された物語の神話性を撃つ一連であり、僕は初出の『短歌研究』誌で読んだ時からいたく印象に残った作品であった。

一連末尾の30首目は、《すでにして戦前の日々生きつつも昭和八十一年・銃後》。しかり、われら不戦を謳う憲法のもとにあってつねにすでに「銃後」に暮らしてきたのではなかったか。そうした、歴史を鳥瞰する視線を、駅前のSTARBUCKSが慰安所に見えてくる、という地の上の具体性へうまく繰り込んで詠まれた一首である。この作品を読んだ者は、以後STARBUCKSを目にするたびに、グローバルに見るならば私たちはまことに不穏な世界に住まっていることを、繰り返し想起せざるを得ないだろう。特定の具体を鮮やかに詠うことによって、歌は、地の上を這うように生きる者たちにも、グローバルな歴史への視線をある種の体感として繰り込ませる力を持つ。

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