日めくり詩歌 短歌 高木佳子 (2012/03/02)

親指と距離を隔てる四本の指を悲しむ まして父親   柳澤美晴

『一匙の海』(本阿弥書店、2011年)より。柳澤美晴は1978年生まれ。北海道に在住し、超結社の歌会「アークの会」を創り精力的に活動を続けている。震災の騒乱の夏のなかで、この歌集は出されたが、揺らぎは微塵も感じない靱さがある。

歌集の後ろに置かれた「あとがき、あるいは空の律動」には、「自分だけの言葉を探すために、顔をあげる。うすむらさき色の空の下で。」とあって、この一文をよめば、この歌集の傾向がおおむね伝わるであろうと思う。柳澤は北海道という北の土地にいて、孤りでこれまで言葉と対峙してきた。それは北方性という土地柄のことだけではなく、この人の性質に依るところが大きいと思う。自らへの、恋人への、父への、そして言葉への。問いと答え、分かろうとする痛々しいまでの努力、そうした剥き出しの魂の発露がいっきに圧縮されこの歌集に収められている。

この歌の場合、「問い」はもっぱら自らの父に向けられている。自分が見つめる手は父から譲り受けた肉体の一部であるのだが、その手「親指と距離を隔てる四本の指」を作者は「悲しむ」のである。自分の肉体にある、ささやかな距離。「まして」というからには、父親との間にはそれ相当の深い距離がある。それは思春期特有の異性の親への嫌悪感といったものであろうか? いや、そうではなく、それはもっと大きな自身と父との、精神的な深く、長い確執といったほうが妥当だろう。それでも、作者は父という存在の難しさを分かろうとする。分かろうとするゆえに深く傷つく。その繰り返しが形を変えて幾度も歌集のなかに詠まれている。

こだわりを捨てても楽にはなるまいよ林檎の種の断面白し
ちちのみの父に父たちひしめいてそう無重力に耐えているんだ
つづまりは自分が自分を救うしかないのだ霜柱に耐えながら

養護教諭という、自分よりもさらに若い人たちの様々な傷と向き合う職業にあるということも、自らを照らして見ることを頻繁にさせているのだろう。だがいつかこの葛藤と傷みさえ、懐かしく思い出される日が来るのだろうとも思う。今しか詠めない歌を今詠むことのできる幸福を柳澤は既に知っているのかもしれない。

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