六十二番 鬱蝉
左
鬱蝉やコンクリートをのぼりつめ 小川双々子
右勝
鬱彦が
探して
いるのは
鬱蝉じゃあ 岩片仁次
空蝉を「鬱蝉」と書いている。こういう言葉遊びは個人的には大好物である。
鬱蝉と書いたのがどちらが先か知らないし、そもそもこの両句が初出かというとおそらく違うのではないか。『重信表』の編者である岩片はもちろん、小川も高柳重信と交流が深かった人だから、要するに「俳句評論」系の文化の中で出て来た表記法の遊びということかと思う。遊びとなれば、それを完遂している程度こそが問題で、となると左句はやや見劣りがするようだ。この句では、別に鬱蝉ではなくて空蝉でもいいんじゃないのという印象が拭えないからだ。「空蝉やコンクリートをのぼりつめ」――これで、無機的な人工物を登りつめて羽化したはかない命の「あはれ」の表現は尽くされているのではないだろうか。また、出典の句集では、左句の次が、
空蝉あり空気清浄機のごとくに
という句になっており、この事実からも作者が「鬱蝉」の表記に込めた思いの強さに疑問符が付いてしまう。これに対して右句は、「鬱彦」と「鬱蝉」が対になっているわけだから、鬱蝉という表記が揺れることはない。なんというか、上機嫌な不機嫌といった振る舞いように愛嬌があって、なかなか佳い句ではないだろうか。右勝ち。
季語 左右とも蝉(夏)
作者紹介
- 小川双々子(おがわ・そうそうし)
一九二二年生、二〇〇六年没。山口誓子に師事。一九六三年、「地表」を創刊主宰。掲句は、最終句集『非在集』(私家版 二〇一二年)所収。
- 岩片仁次(いわかた・じんじ)
一九三一年生まれ。高柳重信に師事。「夢幻航海」代表。掲句は、句集『冥球儀』(月光座活動写真館出版部 後昭和十九年)所収。