戦後俳句を読む(20 – 3) - 戦後における川柳・俳句・短歌/兵頭全郎【テーマ:1917年】

地球儀に西も東もなかりけり  井上劍花坊 (1917年 『新川柳劍花坊句集』)
山の湯に友達もなく臍を見る

社会構造が大きく変わった明治と経済的に大きな発展を迎える昭和とのあいだにある大正期は、15年ほどの間に第1次大戦や関東大震災といった大事を経験しながら、文壇では夏目漱石や森鴎外らによる反自然主義文学運動や、芥川竜之介・菊池寛らの新現実主義など、現在も読み継がれているものが多く輩出された時期でもある。また言文一致運動により現在の書き言葉(だ・である調、です・ます調)が明治中期頃に確立されたが、大正期に入って川柳に少しずつ口語体の作品が見られるようになっている。

劍花坊はのちに『大正川柳』を主宰し新川柳中興の祖の一人と呼ばれ、この時期を代表する川柳作家である。掲出句のように句集では文語・口語とも使われており、新しい感覚を積極的に川柳に持ち込んでいる。「地球儀〜」にみるグローバルな視点と「〜臍を見る」にある個の視点といった幅広さも楽しい。

井守  石の上にほむらをさます井守かな  村上鬼城 (1917年 『鬼城句集』)
冬蜂  冬蜂の死にどころなく歩きけり

俳句については当然(といっていいのか)文語体で、資料の20句中「〜かな」で終わる7句と「〜けり」で終わる3句だけで半分を占めている。鬼城は青年時代より耳が不自由だったらしく、弱者への同情を持って詠まれた句が多いようだが、「そんな様子を見ている」という作者の立ち位置は劍花坊のそれと比較しても一定しているのがよくわかる。たとえば劍花坊の「〜臍を見る」の句は、臍を見ている視線と言うより、そんな自分の姿をを客観的に見付けた作者の位置が別にあって、「石の上の井守」や「冬蜂」の様子を見ている場所は「〜西も東もなかりけり」という発見をした場所のほうに近い。その意味で文体の変化は新しい視点からの表現に向いていたといえるのかもしれない。

春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり  長塚節(1917年 『長塚節歌集』)
酢をかけて咽喉こそばゆき芋殻の乏しき皿に箸つけにけり

1915年没の作者の死後に纏められた歌集なので同時期とはいえないのだが「〜けり」で終わる歌だけで10首を占めている。やはりというべきか、これらの句の視点は先の鬼城のものに近く、丁寧な写生をもとにした作風が伺い知れる。正岡子規に師事し、のちに『馬酔木』『アララギ』の創刊へとつながる作者の写実表現は、文語体を貫くことと同列で当時の短歌の王道を歩んでいたといえるだろう。

なお、資料で口語表現が最初にあらわれるのは、短歌では明治40年頃、俳句では大正の終りの自由律俳句辺りである。

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