七十六番 自然を詠む、人間を詠む(九)
左持
遠山のけむりのごとき四温かな 駒木根淳子
右
毛糸編む母にふたたび会へるとは 駒木根淳子
駒木根さん自身は横浜にお住まいのようですから直接の被害はなかったのでしょうが、出身地は福島県いわき市。アンケートには、「実家は大規模半壊と認定され、更地となってしまった」「事故を起こした原子力発電所からは四十キロしか離れていない」と、重い現実が記されています。掲出二句ともに、そのような事実を背景に読むべきものでしょう。
右句は、福島県が受けた激甚な被害を報道で知りながら、交通の断絶のためすぐにふるさとに駆けつけることもできなかった、しかしようやくたどり着いて母と再会を果たしたことを詠んだ句。「実家は大規模半壊」なのですから、お母様は避難所のようなところにいたのでしょう。さしあたり身動きの取れない無聊の中で、なにか編み物をなさっていたのかもしれません。あるいは、この句は、再会を果たしたずっと後、少しは状況が落ち着きを取り戻してからの光景を詠んでいる可能性もあります。その場合、毛糸を編んでいるのは母ではなく、作者でもよいようです。「母にふたたび会へるとは」あの時は思いもしなかったと震災直後の絶望をふり返りながら、母に着せるものを編んでいる、そんな場面です。
左句は、言葉だけを見れば単なる叙景句でも通じるわけですが、上述のような背景を置くと「けむりのごとき」という表現に、切なくも不安な気持ちが託されていると読めます。山が霞や靄でけむっているのではなく、あくまで山が煙のようだと言っているのです。それが表現の眼目です。
いずれも言葉遣いはさりげないものですが、万感の思いは読み手にもよく伝わってきます。持。
季語 左=三寒四温(冬)/右=毛糸編む(冬)
作者紹介
- 駒木根淳子
一九五二年生まれ。「麟」所属。