四番 茫
左
池を見る人たち冬日ぼんやりと 上田信治
右勝
ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間 髙柳克弘
左句の「ぼんやりと」は「冬日」のみにかかるとしてもよいが、むしろ「池を見る人たち」と「冬日」の両者にかかるのであろう。この人々は、実際には池の鯉や水鳥を見ているはずで、それを「池を見る人たち」とアバウトに言い取ることで生じる、やや間の抜けた距離感こそが「ぼんやりと」の内実である。ここに異化が起こっているとしても、それはなんと微かな異化であることか。その微かさにこそ賭けられているらしい左の作者の方法論を、どこかで聞いたキャッチフレーズに準えて、最小異化俳句と名づけてみたい。なお、「池を見る/人たち」の句跨りが、一句のぼんやり感を加速させているのにも注意。
右の句は、ブーツを履くのに手間取っている女を、先にさっさと靴を履いてしまった男が待っている場面。単にこれから一緒にどこかに出掛けようとしているのかもしれないし、あるいは情交の後のワンシーンなのかもしれない。女を待つ自分をつき放し、客観視する詠みぶりのうちに、女に対するつき放しまでもが含意されているようだ。いやそれどころか、レトリックを放棄したと見せかけた単純化をきわめたレトリックは、俳句そのものに対するつき放しすら感じさせないでもなく、冷え冷えとした倦怠の余韻を残す。
両句ともに面白いが、「ぼんやりと」が俳句の言葉として常套であるのに対して、「ぼーつとしてゐる」は少しく珍奇というべく、かつ珍奇さを無理なく言い収めている点を評価して右の勝か。
季語 左=冬日(冬)/右=ブーツ(冬)
作者紹介
- 上田信治(うえだ・しんじ)
一九六一年生まれ。二〇〇四年、「里」入会。二〇〇六年より西原天気と共に、webマガジン「週刊俳句」を運営する。掲句は、「里」二〇一一年二月号より。
- 髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)
一九八〇年生まれ。二〇〇二年、「鷹」入会。二〇〇四年、第十九回俳句研究賞受賞。二〇〇九年、第一句集『未踏』を刊行。掲句は、「鷹」二〇一一年二月号より。