百番 百
左勝
春の坂あれば百文字かく乞食 安井浩司
右
百年や石疊また蔦黄葉 坂戸淳夫
句合せ最終回、百番ということで「百」の字が登場する句で番組した。
「春の風」とか「秋の暮」のような成語ではなく、任意の○○に春夏秋冬の語を付けるのはなかなか剣呑で、以前誰だかの句集で「秋のビル」という表現を見て一驚を喫したことがある。これは極端にしてもヘボ筋にはまりやすい手筋であろう。しかし、
中年や独語おどろく冬の坂 西東三鬼
なんていう名句もあるから、やはり一概には言えない。
左句の「春の坂」も妙手かと思う。「かく」の表記はたまたまではなく、語の原義に忠実に、木の枝か何かで坂道の地べたに字を「掻く=書く」ことを正確に表現している。この「乞食」はさしずめ聖愚者の面影であり、乞食にして賢者ということなのだろう。彼がしるしつける「百文字」の内容を知りたいところだが、そこは読者が想像をほしいままにするしかあるまい。「文字」とだけあって、それがそもそも文をなしているのかさえも示されていないのがもどかしく、そのもどかしさが当方などには面白さと感じられる。単なる地面でも水面でもなく、ことさら「春の坂」を選んで字を書くところも玄妙。なぜ「春」かは、生命の萌え出る歓びとそれと一体の苦しみという両義性を押えておけば格別の問題もないが、これに「坂」がついたことでわけがわからなくなる。どんな「百文字」なのか、なぜ春の「坂」なのか、一句にブラックボックスのように埋め込まれた謎が、読み手をこころよい焦燥へ追い立ててゆく。
会期終了間際にボストン美術館展を観に行って、帰りしな覗いた上野駅前の古本屋で、坂戸淳夫の第四句集『艸衣集』(一九八一年 端渓社)が目に入ったので購入。読んでみると、右句および次の句に、「百」の字が使われている。
百蝉を養(か)ひておはすはおんほとけ
百蝉の句は俳意不明瞭で、端的に感心せず。右句は、ノスタルジックな情感豊かな句。石畳の道に沿って、蔦の葉が黄色く色づいている。明るくさびしいその晩秋の気分を「百年や」と大喝するごとくに捉えているわけで、ともかく俳句であろう。ただ、それ以上ではないから左勝ちは動かない。ちょっと気になるのは、蔦紅葉でなく「蔦黄葉」としている点で、蔦は一般には赤くなるのではなかったか。黄色くなる種類もあるのだろうか。
右句の作者のお名前は近年も、岩片仁次氏の個人誌「夢幻航海」でお見かけしていた。「俳句評論」や「騎の会」にかかわっているから、左句の作者とはいわば文化的な出自を同じくしているわけだ。ただ、『艸衣集』を読む限り、右句の作者の俳句は文字通り文化の次元にとどまった感じが否めず、対するに左句の作者は文化を超えて孤りで歩いていったという違いがありそうだ。ともあれ、同句集では次のような句を好ましく思った。
靑嶺ゆきあぎとおとろへたりと思ふ
ある葱は月に面を伏せにけり
とぶとりもみやこの秋をみてとべり
この川や捨蠶も人も流したる
鳰いつの世に出でわらふなる
名を忘れたる人とまた逢ふ秋の暮
ほふしぜみ何急く鈴(りん)か通りけり
生の緒の物きざみをる雪の底
これで予定の百番に達した。
句合せは終わりです。さよなら、さよなら、さよなら。
*
さて、「日めくり詩歌 俳句」は、次回より装いを改めて再スタート。七人の侍ならぬ七人の筆者の輪番による、一句鑑賞のコーナーとなります。書き手は、登板の順に、関悦史(豈)、柴田千晶(街)、後藤貴子(鬣 TATEGAMI)、内田麻衣子(野の会)、竹岡一郎(鷹)、越智友亮、林雅樹(澤)のみなさんです。どんな句が選ばれ、どんな読みが示されるか、楽しみです。引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。
季語 左=春(春)/右=蔦(秋)
作者紹介
- 安井浩司(やすい・こうじ)
一九三六年生まれ。永田耕衣に師事。掲句は、句集『山毛欅と創造』(二〇〇七年 沖積舎)所収。
- 坂戸淳夫(さかど・あつお)
一九二四年生、二〇一〇年没。栗生澄夫に師事。