九十七番 火星
左持
火星汚れて会議のあとの窓を飾る 金子兜太
右
「火星」は歳時記には載っておらず、すると左句は無季の句ということになるものの、火星の異名は「夏日星」というそうだから、はたして季語の資格はないのだろうか。角川旧版の大歳時記の「旱星」の項に、野尻抱影が記す説明は次の通り。
炎天続きの夜にひでりを象徴するような星で、自然と目にはいる高さの、赤い大きな星ほどそれを感じさせる。まず火星があるが、夏には出ない年もある。南の中空のさそり座の赤星や、西の牛飼座のオレンジの星などは、いつの夏も旱星として目を引く。
なるほど。惑星――惑いの星というだけあって、地球から見ての動きが複雑で、夏の季語の資質は充分にありながら、季語と言い切るわけにもいかないのが火星であるらしい。ちなみに蠍座の赤星は「大火(たいか)」とも言ってこれは堂々の夏の季語。「大火西に流(くだ)る」といえば、秋到るを意味する成語として漢詩で使われるので、これも季語と見なし得る。火星と赤星の接近を、中国の占星術では「熒惑守心(けいこくしゅしん)」と称して不吉の前兆とするそうで、旱星の語に我々が感じていた不気味さ不吉さは、歴史的な根拠をも備えているわけである。
左右の掲句の「火星」も結局のところは旱星的な不吉さのニュアンスを一句の眼目としているだろう。左句では、澄んだ白い輝きではなく、赤く濁った色が、「会議のあと」の心身の疲労や倦怠を象徴する「汚れ」として捉えられている。右句は、女物の赤い下着を洗濯しているシーンだろう。「火星のやうな下着」とのフレーズは性的な身体の表象であり、それが不吉さの意識と結びつくのはやはり表現として無理がない。なぜなら、それはいつでも制御不能なものに転ずる可能性を秘めているからだ。
どちらの句も面白い。持。
季語 左=無季/右=夜濯(夏)
作者紹介
- 金子兜太(かねこ・とうた)
一九一九年生まれ。加藤楸邨に師事。掲句は、第二句集『金子兜太句集』(一九六一年 風発行所)に所収。但し、引用は『金子兜太集 第一巻 全句集』(二〇〇二年 筑摩書房)より。
- 青山茂根(あおやま・もね)
一九六六年生まれ。「港」を経て「銀化」「豈」所属。掲句は、第一句集『Babylon』(二〇一一年 ふらんす堂)に所収。