八十八番 ○○が好きで○○ (俳句の「型」研究【8】)
左勝
コンビニのおでんが好きで星きれい 神野紗希
右
紫が好きで捨てかね秋扇 武原はん
左句は新刊の句集『光まみれの蜂』(角川書店)より。「コンビニのおでん」などという索漠たる食べ物を「星きれい」まで添えて「好き」と言い切っているところ、初見のおりから大胆不敵な印象を受けた。作者としてはほんとにただコンビニのおでんが好きなだけで、大胆不敵などと言われたらむしろ心外なんでしょうけど。
右句は、句集『はん寿』(一九八二年 武原舞踊研究所)より。武原はんは周知のように、上方舞踊の大家で文化功労者にまでなった人。晩年、高浜虚子・年尾の指導を受けて、思川会という句会で俳句を楽しんだ。この句集は、傘寿記念というだけあって、一頁三句組で三百六十頁以上ある立派な造りの本である。数ヶ月前、歌舞伎座の近くの古本屋で場所柄に感じてついつい買ってしまった。句意は明瞭で、格別述べるべきこともない。ひとつ注意するとすれば、作者は舞踊家であるから、扇子は仕事の道具でもあったということくらいか。実際この句集には、扇子を詠んだ句がはなはだ多いのである。
久しぶりの〈俳句の「型」研究〉は、もちろん「○○が好きで○○」という表現の比較。両句に限らず、時おり見かける措辞かと思う。右句は、「紫が好きで」がいかにも雅びで良い感じだが、好きだから「捨てかね」るという展開はいささか物足りない。捨扇になるべきところを捨てないでいるという理屈が透けて見える(意図したものではないとしても)のもいかがなものか。左句は、一般に好ましいともされていないコンビニの食べ物を「好き」と言い切っている時点ですでに、優雅な紫色が好きだという平板さに勝っていよう。加えて、下五の「星きれい」のルーズな投げ出し方が巧い。だが本当に重要なのは、この句が全体としてコンビニのCMみたような、類型的幸福像のトレースになっていることだろう。俳句の類型性とコマーシャリズムの類型性のハイブリッドとしての類型性を打ち出している点、単に俳句の類型性を演じるにとどまった右句に決定的に優越している。左勝。
季語 左=おでん(冬)/右=秋扇(秋)
作者紹介
- 神野紗希(こうの・さき)
一九八三年生まれ。
- 武原はん(たけはら・はん)
一九〇三年生まれ。