短詩系ガールズブラボー
高山れおな氏から今回の時評のお話を頂いた時に、「女性ならではの視点で…」というお言葉を頂戴した。今夏でこの世にやってきて丸三十年になるのだが、女性性を期待されるポジションをこれまでほとんど割り振られたことがなかったので、奇妙な感慨を覚えた。
だからというわけではないが、『詩客』に初めてお邪魔させていただく今回は私とほぼ同世代の女性たちの話をしたい。
五月一日、江渡華子、神野紗希、野口る理が俳句ウェブマガジン「spica」を創刊した。以前からも、互いのブログでよく名前が登場することの多かった二十代の女性俳人三人がメンバーである。このメンバーでの運営というと、私はどうしても以前「週刊俳句時評」での神野の発言をふと思い返してしまう。
ここ数年、私の身近に、少人数で雑誌を出したり、俳句にまつわる活動をしたりするグループが目立つ。 ハイクマシーン(上田信治・佐藤文香・谷雄介)、guca(佐藤文香・太田ユリ・石原ユキオ)、傘(藤田哲史・越智友亮)、haiku&me(青山茂根、榮猿丸、中村安伸)、はがきハイク(さいばら天気・笠井亞子)。
引用者註/谷雄介はハイクマシーンを2007年1月に脱退
どのグループも、2~3人というシンプルなメンバー構成だ。それから、俳句の作品発表とは別の活動(イベント、批評、エッセイの発表等)に、グループの活動意義を定めているところも、共通している。これまでに、俳壇の状況を指して「結社の時代」「総合誌の時代」というキャッチコピーがあったが、次の候補は、たとえば「ユニットの時代」だろうか。
(『週刊俳句』2010年10月10日号「週刊俳句時評」 第13回 神野紗希「ユニットの時代?ー大木あまり『星涼』を読むー」より)
この文章の後、シンプルに作品発表のみを行う同人誌『星の木』を紹介し、ほぼそこでのみ新作を発表する大木あまりの句集を高揚感溢れる筆致で取り上げていた神野。「いい俳句が読みたい」という彼女の願いは、そのまま「スピカ創刊のことば」とも重なる。
俳句を作るとき、私はどこかで、この句を読んでくれる人がいる、ということを信じています。
それは、とても遠くの、私が死んだあとのことでもかまいません。
私があの人やこの人の句を読んだように、誰かが私の句を読んでくれるということを、信じて書いているのです。
届く保証なんて、どこにもないのに、不思議です。そう信じているのも、私自身、俳句を読むのが好きだからかもしれません。(後略)
神野が時評に取り上げたユニットの中には、紙媒体へのこだわりを感じさせる「傘[karakasa]」、郵便物であるところに活動の主旨が凝縮されていそうな「はがきハイク」など、「どう伝えるか」という点が重要であるものも多い。それを抜きにしても、やはりspicaのアプローチは素朴である。「つくる」「よむ」「よみあう」「きく」etc.…と並べられたコンテンツを開けば、就職したばかりの某若手俳人が日々の雑感を込めた俳句を発表したり、メンバー三人が交替で更新する一句鑑賞があったり、若手では知名度ナンバーワンの俳人がグロい映画の話をしてメンバーをドン引きさせている座談会があったり…シンプルに俳句を読ませる、という主旨が大いに理解出来る構成である。実家に帰ってご飯、味噌汁、おかず、あえもの、とメニューの揃った夕食を食べたような、そんな気分になった。
まあしかし、シンプルなものに触れると、どうしてもシンプルでないものも併せて摂取したくなるのが人情である。シンプルでないもの、と聞いて私がすぐ想起するのが「期間限定短詩系女子ユニット」と銘打ち、「週刊俳句時評」でも挙げられていたgucaである。
俳人の佐藤文香、「短歌のうまい俳人」石原ユキオ、歌人の太田ユリからなるこのユニットは、厳密に言えば「俳句の」ユニットではない。それと同様に「短歌の」ユニットでもない。メンバー構成ですでに短詩系のジャンルを相対化させているという意味ではシンプルなのかもしれないが、その手つきは多分に戦略的で、同時に無邪気で、何というか痛快なのだ。
昨年始動のものなのでご存知の読者も多いかもしれないが、gucaのサイトはとても賑やかなデザインで、愛敬のあるロゴが出迎えてくれる。主なコンテンツは、メンバー三人が毎週持ち回りでアップするコラムである(それぞれの個性を最初から打ち出してきた点も、spicaと対照的に私には映った)。佐藤が言葉と自分との関係性の歴史をコミカルに綴れば、石原はOLの抜き差しならぬ日常を虚構と赤裸々さをブレンドしながら叩き付けるように書く。そこに、太田の、自身の恋愛体質を大いに連想させるキュートな文章が続く。コラムの文末や文頭に、ふっと俳句や短歌や川柳が置かれている。その本当に「ふっと」置かれている感じが、ちょっと笑える。サイト開始当初から、googleで検索すると「もしかして:愚か ?」と聞かれるところも大分笑える。そろそろ新たな電子書籍が出るとの噂もちらほら聞こえてくるが、真相はいかに。
いくら過激であろうとも、結局、「女子」と呼ばれるのだ。女性は消費される。これは、もう、しょうがない。しょうがないと言ってしまうと身も蓋もないが、女性という性別と肉体を与えられた以上、私たちの眼の前には、それを利用するかしないか、という選択肢しかない。
(『週刊俳句』2011年1月23日号「週刊俳句時評」 第23回 神野紗希「木曜日と冷蔵庫」より)
何だか最近、「女子」という言葉が恐ろしい勢いで蔓延している。「女子」という言葉には消費誘発装置でも仕込まれているのか、という勢いで、とても気持ちが悪い。女の人は強いから、とか言われても気持ち悪いが、ちやほやされても気持ち悪い。この気持ち悪さを今回取り上げた女性たちが感じているかは分からないが、女であることのしんどさを引き受けつつも言葉や形式、価値観を共有できる場を作りあげている彼女たちを見ると、自分のことはすっかり棚にあげて「たのもしいなあ」と思ってしまう私なのである。
執筆者紹介
松本てふこ(まつもと・てふこ)
1981年生まれ。
2000年、作句開始。2004年「童子」入会。同年「新童賞」受賞。2006年 『現代俳句精鋭選集7』(東京四季出版)に参加。2009年『新撰21』、2010年『超新撰21』(共に邑書林)に小論で参加。
現在「童子」同人。