戦後俳句を読む (6 – 1) ―「音」を読む― 稲垣きくのの句 / 土肥あき子

あぢさゐにうづまりて死も瑠璃色か

『冬濤以後』に所収されているきくの63歳の作である。広辞苑によると瑠璃色とは、紫色を帯びた紺色とある。また他の辞書では、薄青色、深い紫味の青、濃い赤味の青と一定しない。掲句では紫陽花の色としているが、この美しいけれども不安定な、どこか定まらぬ色こそが、きくのの瑠璃なのであろう。瑠璃色については同句集に他にも

色鳥の抜羽ひろひぬ瑠璃濃ければ
草の実のるり色燦と枯はじむ

と、きくのはときに手にとり、ひときわ目を留める色であった。

きくのの随筆集『古日傘』のなかに、「自分の色」というエッセイがある。そこには、自分の身につける服装の色に関して「赤色はむやみに興奮させ、黒色は大声で笑えなくなる、白色は静かに眠って胸の上に両手を組みたくもなる」とユーモアいっぱいに書かれている。続いて「この頃のように明るい色彩の中に溺れていると、何だか軽佻浮薄に流れやすいような気がする」とあり、電車で見かけた海軍士官の制服の紺色を「この紺の美しさは生涯なにかにつけおもい出す色であろう」と締めくくっている。ゆるぎない紺色を「考えても息が弾むような気がする」ほど美しいと思うきくのにとって、瑠璃色とは紺色に近い色として認識していたのだろうか、はたまた大胆で派手なあくどい彩りとして映っていたのだろうか。

きくのが参加していた「縷紅」昭和17年8月号に35歳のきくのが詠んだ掲句と対となすような句を見つけた。

紫陽花やこゝろ憂き日は瑠璃濃ゆく

若く美しいきくのの目に物憂げに映った瑠璃色は、30年を経た63歳になっても繰り返し鬱蒼ときくのを責めているのだ。美しく咲き誇る大ぶりの紫陽花の毬に囲まれたとき、そのしずかな潤いのなかに立っていることに目眩のような不安がよぎる。

 きくのが好んだ牡丹にも薔薇にも、その色は存在しない。紫陽花だけが見せる瑠璃色には、美しい紺色を思わせながら、払っても払っても追ってくる死の横顔が貼りついていたのかもしれない。

瑠璃かけす美し老後など欲しくなし   『冬濤以後』

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