戦後俳句を読む (7 – 1) ―「音」を読む―  稲垣きくのの句 / 土肥あき子

三時間ドラマ三時間みて夜の秋

昭和55年(1980)11月号の「春燈」に掲載された作品である。

きくのは蒲田松竹のサイレント時代の映画女優であった。その後トーキー作品となってからは『春琴抄』(昭和10年)と『家族会議』(昭和11年)の二本しか出演作品はない。松竹が蒲田から大船に移転する機会に、20代で見切りをつけたような女優業だったが、年代というよりサイレントからトーキーへの大きな転換期についていけなかったのかもしれない。女優時代を振り返るような文章を一切残していないきくのではあるが、昭和14年(1939)東宝映画が開設された頃の「春蘭」昭和14年9月号には

すみれ好き東寳が好き嫁仕度

があり、また第一句集『榧の実』には

映画みにゆく出来ごころ柳の芽

など、女優を辞めたあとも、映画は好んで観ていたようである。

しかし、掲句の〈三時間ドラマ〜〉の句では、ドラマ自体には積極的な興味も期待もまるで込められていない。見るでもなくつけていたテレビドラマを、エンディングまで見てしまったのだ。気がつけば映画よりずっと長い、3時間という時間を無為に過ごしてしまったことに、我ながらあきれ果てているといった風情である。人恋しさに音を求め、またストーリーを追ってしまったことへ、秋の夜長というだけではない、女優をしていた身ゆえのわびしさと自嘲がにじむ。

映画監督でもあり同結社「春燈」の同人でもあった五所平之助が昭和56年(1981)に亡くなった折り、きくのはテレビの追悼番組に出演した。カメラ慣れしているはずのきくのは、出演者のなかでも際立って凛として美しかっただろうと想像したが、実際には画面の向こう側で、どこか居心地悪そうに、四方から映されるカメラに終始緊張の面持ちであったという。

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