戦後俳句を読む (8 – 1) ―「肉体」を読む― 稲垣きくのの句 / 土肥あき子

春暁の手を伸ばし手に触るるもの  

大場白水郎主宰「春蘭」昭和14年6月号に掲載された掲句は、きくのが投句を始めて3年ほどの作品である。

春暁が招く明かりに、漂わせた手に触れるものはなんだったのだろうか。

きくのの俳句のなかで、もっとも印象的に登場する肉体は「手」である。女優を辞めたのち、茶道教授をしていたこともあり、ひときわ仕草の美しさを意識していたのかもしれない。茶道の無駄のない流れるような所作は、すべて美しい手の表情によってより際立つ。

春愁やはたらかぬ手の指ほそく 『榧の実』

はきくの自身のなよやかな手である。

随筆集『古日傘』のなかで「手」という文章が残されている。銀座の「Y」という額縁屋で、あるとき画帳を出され、手型を押してくれ、と頼まれたという。

(中略)見ると、もうたくさん押されてあって、画家、作家、俳優、音楽家といったような芸術家が多く、墨で押された手型にも濃いのうすいの、べとべとなのといろいろあり、傍らにそれぞれサインとわが手によせる文字がつづられている。『おお、いとしのわが手よ』とかいてあるのは、如何にも指の長いソプラノ歌手であった。『お前はおれの最も親しいやつだ。おれの悪事をお前はみんな知っている』これは漫画家である。

と印象に残ったものを挙げているが、はたして自分はといえば「かいた文句は忘れてしまった」とつれない。

つい最近、別の作家のエッセイを読んでいて、この「Y」という額縁店が銀座8丁目にあった「八咫家」であることがわかった。現在は大田区千鳥に移転したそうで、早速画帳が今もあるか、あればぜひ見せてほしい旨をたずねてみたのだが、先代も亡くなり、電話口に出られた店主は「話しは聞いた記憶はあるが、見たことはない」という返事だった。のちに訪れてみると、ひとつひとつに趣きを凝らした、たいへん凝った額縁店であった。それぞれの絵に合った一点ものをデザイン制作しているというこの額縁店にきくのは何を依頼していたのだろうか。そして、画帳に記したのはどんな句だったのだろうか。さらに手型はべったり派か、薄墨派だったのか。まぼろしの画帳を今しばらく追ってみようかと思う。

春昼や男手をまつ壜のふた   「春燈」昭和49年5月号

きくのに詠まれると男手も単なる労力ではなく、力ある色香を感じさせる。句集『冬濤』では、切なくも愛おしいくつもの手が登場する。

暖かやさしのべられし手に縋り
滝の音によろけて掴む男の手
春の夜の触れてさだかにをとこの手
触れし手のぬくもりのわがものならず

そして、中年以降の女であれば誰でも知っていることだが、年齢がもっとも如実に刻まれるのは顔でも髪でもなく、手である。60歳を目前としたきくのがことのほか情けなく思ったのは、老いの表情を見せるようになった我が手であった。

手袋の手の老いを愧づ人しれず   『冬濤』

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