この道や滝みて返すだけの道
第二句集『冬濤』のなかで、4句並ぶ滝の句の4句目の作品である。
滝みると人にかす手の恋ならず
滝の音によろけて掴む男の手
の後に掲句が置かれる。
大胆に情熱的な句を詠んだかと思うと、一転して冷ややかな句が並ぶのも、きくの作品の特徴である。浮かれた気分から、ふと我に返るというより、本来冷静な視線の方がきくのの本質なのだろう。
「滝を見に行く」「滝を見ている」「帰る」、この単純な道程のなかで、抒情から隔絶できるのが帰り道である。目的地から遠ざかるにしたがって、次第に自己を取り戻す。同じ道の往復で、これほど静かな視線になってしまうことが、きくのの寂しさであり真実である。
ことに「滝」という、もっとも激しい水の姿、圧倒的なパワーの前に、五感が研ぎすまされたのちであることが、一種の透明感を与えているように思われる。
先ほどまで轟音を立てていた滝が、今はもう川のせせらぎに変わり、一歩一歩が確実に滝から離れていく。それはまるで「滝みて返すだけの道」が、人生を折り返すときにさしかかる自分の胸中にも重なっているようだ。
手を伸ばせば触れられるほどの距離にあった水しぶきも、豪快な水の匂いからも離れ、今はただ単調な山道を踏んでいる。同じ道をたどりながら、往路と異なるのは、唯一滝を見てきた自身の経験である。滝を見て帰る道は、滝を見に行く道とは、心情的に決定的に違うものであることを掲句は示唆する。
降りかぶった飛沫の湿り気がまだ乾かぬ間に、手を借りた異性のことさえも、きくのにはもう遠い過去となっている。