雪催松の生傷匂ふなり 五千石
第二句集『森林』所収。昭和四十四年作。
第二句集『森林』の第一句目に置かれた句である。この句について、自註(*1)には、〈赤松の幹の生なましさが、いつまでも心を離れなかった〉と記す。
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これは男の句だ、と思う。だが、それはなぜだろうか。
「生傷」という不穏な言葉からか、「傷匂ふ」という身体感覚からか。どちらもそうだという気がするし、さらにいえばこの情景に着目し、それを詠もうとした心持ち、それ自体に「男」を感じるのだと思う。実はこの句を知らない初心の頃の私にも、似たような句がある。私の句は「雪折」の松の傷口に着目したものであったが。
さて、この「生傷」は、幹に付けられた外的なものか、「雪折」のように松の幹もしくは枝から木肌が露出した状態だろうか。ちなみに、私の生家あたりには防風林として松が多くあり、冬には日本海からの風に耐える松の姿を間近にして暮らしていた。厳しい海風に耐えた松も、風が収まった大雪の日に、雪の重みに耐えかねて、枝が折れるものもあり、中には落雷のあとのように、無残に幹が大きく割れたものもあった。その割れた幹の内部はやけに赤かったように記憶している。
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掲出句。この句の季語は「雪催」であるから、まだ雪は降っていない。だが、降り出しそうだと感じられる曇天の下、足元からは底冷えもしているかもしれない。そんな中、晒されている木肌は艶めかしく、木の、命の温度を顕わにしているのだ。木肌は人のそれに似て、まさに「生傷」と捉えられるだろう。
「松の生傷匂ふ」は現実の景のなかにも、どこかロマンを求める、そんな「男」の俳句と言っていいと思う。
*1 『上田五千石句集』自註現代俳句シリーズⅠ期(15)」 俳人協会刊