ノマッド 添田馨
(一)
貴女はいまだ幽霊に等しかった
攻撃が開始されるまえの静かな数瞬に
種子のような過去が頭をよぎっていき
その後、怒りに満ちた沈黙は瞬く間に全土を覆った
透明な泉の滑らかな音源が
貴女と私の息子たちとの前世の物語を占めはじめ
誓いのクローバーだけが貴女への忠誠を
日々の営みのジェンダーへと白紙還元していった
うっすらと閉じたその瞼にも、暮色への憧れは宿り
帰還のためのバスはもう長いこと
この停留所を通過していない
私はいつも遥か遠くの橋を目指していた
貴女の写真をどれだけ集めても写っていたのは幽霊
攻撃が始まったあと、多くの愛すべき書物を捨て
ノマッドの見えない戦線に私も赴いたが
思想を育むクローバーへの永年の水遣りが
離れても生きるに十分な理由なのだと知ったいま
貴女の游神はいまも多彩な色に満ちて渦巻き
季節の言の葉を宙空に舞い飛ばして止まない
汚染の霧をかぶった山脈にも朝陽は昇り
死の影が広がる海洋にも星辰はめぐり
今日、私が戦えるのには明白な理由があった
駆りたてる憎悪には普遍的な根拠があった
私には眠っても開いたままの瞳がある
反撃のプラニングは悉く終焉し
ほとんど先細る呼吸で物語の先端を
貴女の心華となって生き始める日々を思う
相愛の覚醒が名状しがたい架空の身体を
筆触の息する瞬間ごとに血肉となす日々を思う