ふきぬけ 海東セラ
こたえる必要がないことはわかっている。耳のそばでふいに聞こえ、
輪郭をなまなましく浮かばせる。この声に生け捕られる。悔やんで
も戻れないし、聞きたくないとは思わない。むしろ聞いていたいけ
ど。届くはずのない断片が繰りかえし覆い被さってきて、述懐も破
れる。鉛色の抑揚が遠ざかるまで耳をすましていよう。切り替えれ
ば良いのだけど、生憎スイッチの設置が忘れられた、まわりっぱな
しの換気扇みたいなものだ。欠陥住宅はたまに建てられるし、欠陥
人間は自分の方。反響や配管ルートを考えもせず風通しと採光を優
先したばかりに、カモメや飛行船もよぎる。今日は広告びよりなん
だって。たのむから安全運行とか船体に書くのはやめてほしいし、
鬼子母神もいやだ、登っても登っても這いあがれない崖の下にいる。
天辺にいたから肉声が昇ってきたはずなのに、いつのまにかどん底
にいて呼ばわっている、おおい、あのカモメは獰猛なんだよ、雑食
だから生臭いよ、丸呑みにされるよ。声をかぎりに叫びたいです。
ふしあわせのために捨てられて抹消されるのは怖ろしいし、実際、
声も出ないし。撥水性のある硬い翼で急降下されても蹲ってしまう。
裂け目は日ごとに巨大化して、ときおり天窓に血が吹き飛ぶ。声は
大きいし醜い、皺ぶかく捻れたりもするので、見えない表情が妄想
を生んでトーテムポールの首が伸びてゆく。梯子にしてよじ登られ、
橋にして渡られつつ、耳の奧でこだまする根源を、この強ばった首
にすげ替えてあげる。柔らかくあるすべを知らないけど、聞きたく
ないのに聞こえている、構造を人のせいにしてはいけません。きっ
ぱり閉めたドアの音が跳ね返ってきていよいよ耳を覆したい。涙ま
じりで憤怒に震える、声は好悪にうつろう演技派だし、遠くのもの
は近く、近くのものは遠く、ひそひそひたひた、喧嘩猫の憎悪でも
って宙を交叉してよみがえる。夜ごと誰かの夢まで見はじめるころ
小声もまじり、さかさまになって聞いている。この声も遠くから聞
かれているようだ。耳もとでピーカンの空みたく喋りだしている。