「詩客」 劉向東そのⅡ 竹内新編訳
蘆花の辞(うた)
花の咲くのを待っていたらとうに白髪頭
というのも悪くない
ぴったり身を寄せ合い 一心同体
風まかせ
きれいに揃って 私と共白髪
透きとおる陽の光のなかに
白髪と詩句
風まかせ
気ままな身は夢のように軽い
今揺れてもそれはもう過ぎたこと
風まかせ
今揺れてもそれはもう過ぎたこと
揺れはまた向きを変えて引き返す
きれいに揃って 私と共白髪
2014年秋
遠方
燕山の故郷にいたころ
よく自分を山の向こうへ遣いにやったものだった
山の向こうが相変わらず山なら
すぐあきらめて
骨を一本持って帰るのだった
峠を通り抜けると大平原で
余りに広くて、果てしなくて
いつまで経っても通り抜けられない気がして
すっかり平原の一部になってしまった
空はいよいよ低く
土地はいよいよ分厚くなった
不意に山海関が見え
遠い海は岸より高く
山は海より下にあるのだった
2014年秋
遠く家を離れて
遠く家を離れていると、長旅の苦労のなか
一歩一歩が母の縫い目の跡となり
足跡のすべてが自分の碑文となる
遠く家を離れていると、肉親が懐かしく
背後にある眺めは、引き寄せれば引き寄せるほど遠くなる
いつも耳元に聞き慣れた声
ご飯だよ、帰っといでと呼びかける声
人が一人で遠くに向かえば
ふるさとの体温をそっくり背負っているのだ
古屋とオンドルから遠ざかれば遠ざかるほど
気掛かりはますます近くなるのだ
私は自分自身と一緒、田舎訛りは変わらない
山が高ければ自分も高く、水が深ければ自分も深い
一路南船北馬、各地を旅しても
頭を上げて明月を望めば、遠く家の戸口が見える
ぼろぼろになった旅の荷物を背に家へ帰ろう
晩秋は旅人の魂が帰郷するときだ
1993年秋
劉向東(リウ シアントン/Liu Xiangdong)
第二回目なので、プロフィールの代わりに、父親の劉章(詩誌編集者・詩人)が長男向東の幼少年時代を描いた「大きな年少者」という詩を紹介する。
大きな年少者
飯代わりに瓜や野菜を食べていたそんな年に彼はオギャーと産まれ落ち、
鍋底のおこげがチョコレートで、
間垣のなかの小さな中庭がゆりかごで、
小川は遊びに連れていってくれる保母さんだった!
5歳で羊を追い、6歳で薪を拾い、
7歳で薬草を掘り起こして本を買い筆記具を買い、
高校を卒業したら、卒業証書といっしょに、
真新しい書籍を引き連れてきた。
元来が寒くて痩せた土地なのに、
1メートル87センチに成長し、
16歳で畑に出て耕作し、
17歳で軍旗を担ぎ上げた!
劉向東は、その後1985年、河北師範大学中文系に(入試を経て)入学した。