粉砕伯爵夫人の生涯 松本秀文
「
拳銃で砕かれた後に
灰色の歴史が静かにやって来る
かつて権威であった表現が
現在の権威であるそれに
王冠を譲る時
言葉はただ沈黙を守る
――「こんにちは、孤独です。新鮮な悲しみをお届けにまいりました」
太陽と海
世界がそれだけで完成するような午後
「君には
魔法を解かれた時の
やるせなさを
存分に
味わってもらいたい」
粉砕伯爵の優雅な髭が
夫人の唇に「暴力」の文字を
浮かび上がらせることもあった
夕立の後
空の眩暈を野良犬の茶太郎が拾う
骨のような浜辺にて……
――身体と身体は純粋な運動を何度も何度も繰り返す
書物の冬
あるいは冬の書物
棘
皮膚よりも薄い壁で
隔てられた祖先の
錆びた喉の骨を
ひとつひとつ取り出して
顕微鏡で
骨に刻まれた文字を確認して
棘
粉砕伯爵は夫人に
失われた時間について
詳細に語り続ける夜もあった
――あらゆる意味が粉砕されてしまう「暴力」を創造する悪戯小僧の冒険
神々の黄昏の秋
イルカが雲のように赤く燃えながら
音楽のように流れる
粉砕伯爵の死は
意味が意味を失う時の悲しみで
コルクの部屋を満たして
壮大な叙事詩「秘蜜」を書き続ける
壜の中のシャム猫の魔娑子が
夫人の耳元で
知られざる伯爵の物語を始める時
彼女の耳たぶはかすかに揺れ
スズムシたちが
「みなしご」と呼ばれる宿に
ゆっくりと這って行く音と重なり
秋の亡霊は呟くだろう
「あなたの肩には
重量がある」
――誰かが背負うものを誰も背負わない時に「共同体(私たち)」は崩壊する
粉砕伯爵夫人は
香水の内部で眠りながら
夢に到るまでの間に
伯爵が遺した書物の優雅な鼾を聞きながら
眠り続ける書物の中で
眠らない文字たちが
「誘惑」という言葉の一点に集中して
蠢き
夫人に侵入して
彼女のあらゆる貞潔を奪う力を持つ事実を
乳房の内部に感じることもあった
――人間は生まれなかった者を悼むために卵を抱き続ける
かつて地上で
「悪」そのものと呼ばれた粉砕伯爵
その伴侶であった夫人が
全く純粋素朴な永遠の少女であり
空想以外から犯されることはなく
植物的な生活を営み続けて
一冊の詩集を作成したことを
知る者は地上には存在しない
――痙攣する性器たちが語る凡庸さの集積=情報
粉砕伯爵と夫人が暮らした夢の城は
誰でも簡単に実行可能な「革命」によって
燃え上がり
「生き延びる空想を
絶対に放してはいけないよ」
政治とは
棒に当たり続ける犬の比喩に過ぎないことを
ちいさな村にある小学校の教室で
一番後ろの席の少年と少女が
罪深くささやいている
深い悲しみを抱いた雨の後に
虹が……
――アライグマが魂の洗濯をする川の光景
地上から消えた文字たちが
絶対零度の中で再生して
宇宙の虚無に捧げられた
粉砕伯爵夫人の詩集を
今
宇宙そのものが
読んでいる
地上はもはや存在しない
はるか未来にて……