陽炎はやがてボヘミアングラス 山崎十生
平成二十四年四月に刊行された句集『悠悠自適入門』、その中でも平成二十三年の作品をおさめた「調神社」の中の一句。
立春の卵どこからでも攻める
立雛はいつも捨て身の構へかな
この一頁からはじまる「調神社」の項目は、忽ち東日本大震災でおこった福島の原発の俳句に覆われていく。
春の地震などと気取るな原発忌
せっけんを洗うことから原発忌
具体的には朧なる原発忌
臨界を意識しているシャボン玉
鮮明に原発四基陽炎へり
陽炎はやがてボヘミアングラス
二句だてで続く三頁、福島原発のニュースが続々と入りつつも、それが全てではない、真実ではないだろうと日本国中が暗澹とした気持を抱えていたあの日々の迫真感がある。
せっけんを洗うことが何をさすのかあまりわからない部分もあるのだが、何か大変なことになるという不安を抱えていたあの頃の感情を表すのには必要なのかもしれない。
現実にはあっという間に水素爆発が立て続けに起こり、福島や周辺の方々はもちろんのこと全国民が子や孫の世代まで背負う被害と甚大な傷を負うこととなった。
爆発直前、Liveと添えられた定点観測カメラに映し出された原発四基、陽炎に揺らぐその姿を眺めながら、臨界がシャボン玉のような脆さで既に近づいているのを国民達は勘づいていた気が今はする。
だからこそ、その後繰り返された水素爆発の瞬間の映像は衝撃的だったが、やはり起きたかという諦めがあったことも残念だが否めない。
陽炎はやがてボヘミアングラス
ボヘミアングラスと描く事で春の柔らかな陽炎ではなく、山焼の燃え上がる炎の上に立ち上るような緋色の陽炎のように、切り出された陽炎は猛々しさの象徴となる。
未だに不鮮明な定点観測カメラやヘリからの画像を通してでしか見られないあの地の現実、さらにあの瞬間の爆発の威力やそれによる汚染の全容も今なお知る術は殆んどない。
ただ、剥き出しになった建屋が、そして封鎖されたあの地域が今後もフクシマで起きた事実を伝え続ける。
フクシマで良いのか原爆忌が近い
ハマオカになるな疾走する舟虫
「調神社」ではボヘミアングラスから七項措き、さらに原発や震災の句が掲載される。
こちらは多少議論的。私としては同じように報道を通し、原発を見守った迫真感のある六句に目が留まる。