十九番 針の山
左勝
雁啼くや夜目にも見ゆる針の山 冨田拓也
右
ひねもすにひぐらし啼けり針の山 松本純
「針の山」はもちろん〈地獄にあるという、針の植えてある山。罪人を追い込んで苦しめる所。〉(デジタル大辞泉)であり、血の池地獄などと並んで、現在でも最もよく知られた地獄のアトラクションのひとつであろう。仏教的な地獄イメージの成立に決定的な役割を果たした源信の『往生要集』には、「針の山」の語は無いようだが、類似の場所として、等活地獄の第二別処である「刀輪処」や衆合地獄の「刀葉林」についての記述がある。地面に植わった、また頭上から降り注ぐ無数の刃によって、肉体が切りさいなまれる、そんな場所である。
左右両句とも規矩正しく、むしろ古風な有季定型句のスタイルで書かれている。これが例えば「針の山」でなく「神の山」とでもあれば、平穏な嘱目吟で通るところ、「針の山」と置いたことで一句はイリュージョンと化した。といっても、これらの句は幻想の地獄の純然と描写するものではなく、「針の山」は一方で比喩の位相を手放してはいない。つまり「針の山」は、そこらのただの山なのかもしれない。そのような二重性をもたらしているのは季語の働きであろう。季語が季語であるとされることで帯びる季節性への回路が、現実性への回路を担保しているのだ。
両句ともにすぐれているが左を勝ちとするのは、イリュージョンの強度の差ゆえである。すなわち、右句は比喩の方に強く振れているということで、なぜあえて「針の山」を持ち出してきたのか、その必然性の点でやや弱みがあろう。逆にいえば左句にはよりはっきりと地獄が感じられるということである。
季語 左=雁(秋)/右=蜩(秋)
- 冨田拓也(とみた・たくや)
一九七九年生まれ。二〇〇二年、第一回芝不器男俳句新人賞受賞。掲句は、句集『青空を欺くために雨は降る』(二〇〇四年 愛媛県文化振興財団)より。
- 松本純(まつもと・じゅん)
一九三六年生まれ。阿佐谷「すずしろ句会」会員、同人誌「段丘」会員、日本フラメンコ協会会員他。掲句は、句集『三草子』(二〇一一年 すずしろ会)より。