日めくり詩歌 自由詩 森川雅美 (2011/7/21)

空想のゲリラ        黒田喜夫

もう何日もあるきつづけた
背中には銃を背負い
道は曲がりくねって
見知らぬ村から村へつづいている
だがその向こうになじみふかいひとつの村がある
そこに帰る
帰らねばならぬ
目をとじると一瞬のうちに想いだす
森の形
畑を通る抜道
屋根飾り
漬物の漬け方
親族一統
削り合う田地
ちっぽけな格式と永劫変らぬ白壁
柄のとれた鋤と他人の土
野垂れ死した父祖たちよ
追いたてられた母たちよ
そこに帰る
見覚えある抜道を通り
銃をかまえて曲がり角から躍りだす
いま始原の遺恨をはらす
復讐の季だ
その村は向こうにある
道は見知らぬ村から村へつづいている
だが夢の中のようにあるいてもあるいても
なじみない景色ばかりだ
誰も通らぬ
なにものにも会わぬ
一軒の家に近づき道を訊く
すると窓も戸口もない
壁だけの唖の家がある
別の家に行く
やはり窓もない戸口もない
みると声をたてる何の姿もなく
異様な色にかがやく村に道は消えようとしている
ここは何処で
この道は何処へ行くのだ
教えてくれ
応えろ
背中の銃をおろし無音の群落につめよると
だが武器は軽く
おお間違いだ
俺は手に三尺ばかりの棒片をつかんでいるに過ぎぬ?

 戦後詩の紹介に戻って、三人目は黒田喜夫。本当は『不帰郷』が好きなのだが、今回は初期の作品から紹介する。一九五九(昭和三四)年に刊行された、詩集『不安と遊撃』に収録されている。 

 黒田は小学校を卒業した後、上京し労働者として働き、戦後は農民運動に従事した。その間に肺結核を患い、生涯苦しむことになる。「現代詩」「列島」「新日本文学」などに参加。戦後の左翼系詩の代表の一人といえる。掲出の作品や「毒虫飼育」「ハンガリアの笑い」など、グロテスクともいえる夢とうつつのあわのような、、イメージを描写していく作品といえる。

 掲出の詩もそうだが、書き出しは小説の冒頭ともいえそうな、普通の描写が多い。リズムにしても、「七七」「五七」と安定している。しかし、イメージもリズムも少しずつずれていく。そして、長い五行目が置かれた後、作中の主体の声とでもいえる、二行が置かれる。しかも、長い行は「七五調」には収まらず。続く声の二行は、「五/八」でリズムとしても落ち着いている。その後は日本の貧しい原風景が続く。読むものは、悪夢に落ちるように詩に巻き込まれる。さらに、詩は意識のより深い暗部に落ちていく。

 これらのイメージが不快になったり、言葉が恨みつらみごとにならないのは、あくまで客体、他者として描かれているからだ。「七五調」との遠近を繰り返すリズムが、そのような距離のとり方と相乗効果になっている。「異様な色にかがやく村に道は消えようとしている」と、その貧しいイメージすら、消すことによって読み手を、意識の暗い穴に置き去りにする。「俺は手に三尺ばかりの棒片をつかんでいるに過ぎぬ?」という結びの一行が、不気味な響きとして返ってくることで、読むものは自らの手の中で貧しさ握り締める。

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