誰も知らぬ世界がも一つあると思う無人の道で名前呼ばれる 杉浦とき子
朝日歌壇(2008年1月21日)に掲載された作品。僕は、子どもの頃、母が盥で洗濯しているのを見ていて、この泡がこの宇宙だとしたら、この泡の隣にもうひとつあの泡があるようにして、この宇宙の隣にもうひとつ別の宇宙があるのかも知れない、神さまなら全部の泡を見ているのだろう・・・、などと途方もないことを考えていたことがあった。今にして思えばなんだか不気味な子どもだ。この一首を読んで、ふとそんなことを思い出したのだった。不思議な一首だ。泡の話などをつい言うてしまったが、この歌に詠われている「も一つ」の世界とは・・・、などと理屈を立ててしまってはいけない、そんなことをしてはもったいない、という気がする。ただただ不思議な一首である。作者の杉浦とき子さんは、最近お名前をお見かけしないが、長く朝日歌壇の常連だった方で、東京都から愛知県へ転居されたのだった。転居された後、東京をなつかしむ歌も二、三掲載されたことがあったが、この歌はさらにその後のもので、もはやこの世界の何処をなつかしむでもないような境位へ入ってゆかれたのではないか、と思う。